建築年表 公共編

1950

再建 鹿の湯クラブ

1950年

札幌市南区定山渓温泉西3丁目

その後の増改築のため確認できず

土建工房 吉田三郎平

竹中工務店 北海道営業所

戦中・戦後の頃の「鹿の湯クラブ」 絵葉書より

 戦前の定山渓温泉では、定山渓ホテルの「ホテルさん」と鹿の湯クラブの「クラブさん」の2つが集客力のある宿として有名だったそうです。戦中の鹿の湯クラブは札幌陸軍病院の療養所として軍に供出させられ、傷病兵の温泉療養施設となっていたそうですが、終戦後に札幌へ進駐軍がやってくると今度はレストキャンプとして使われるために接収命令が出されてしまいました。鹿の湯クラブのトイレが洋式だったからと伝えられています。

 進駐軍隊員の休暇や除隊から帰国までの時間を過ごすために使われた施設は、例にもれず、内部を洋風に改装されました。接収から1年4ヶ月ほど経過した1947年2月13日のこと、翌月3月末をもって所有者に返還するという通知があったものの、その翌日昼過ぎに1階台所から出火しました。
 台所(赤星部分)から出た火は瞬く間に燃え広がり、鹿の湯クラブはわずかに緑の網掛け部分を残して燃え尽きてしまったのだそうです。占領下であるために原因調査はできず、出火原因不明と結論づけられてしまいました。とある説によりますと、缶詰やタバコなどを横流ししていたアメリカ兵隊員が帳簿と数量の合わない事態が発覚するのを恐れ、証拠隠滅を図って火を放ったとのことですが、ありそうな話だと思われました。

再建した鹿の湯クラブ「鹿の湯グループ50年史」 昭和52年発行より

 鹿の湯クラブの若き金川幸三社長は、難交渉の末に国から補償金を受け取り、宿の再建に取り組みました。設計を担当したのは、その時、真駒内での進駐軍キャンプ建設企画室長をされていた吉田三郎平さんでした。どのような経緯で吉田さんの出番となったのかは想像するしかありませんが、進駐軍と日本政府、そして施主との間でうまく立ち回ることのできる唯一の方であったのかも知れません。ひょっとすると鹿の湯クラブの進駐軍向け洋風改装のデザイン案や資材調達の際に担当をされていて、金川社長と既に知己だったのかとも考えられました。
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