建築年表 公共編

1955

秋山愛生舘 第1期 孝行ビル

1955年

札幌市中央区南1条西5丁目

現存せず

三菱地所 北海道建設事務所

大成建設 札幌支店 佐伯元吉所長

秋山記念生命科学振興財団 所蔵 より

 現在の愛生舘ビル南隣のタワーパーキングの場所にあった「孝行ビル」。
 この建物は、秋山愛生舘の3代目社長 秋山康之進さんが東京で療養中の先代を札幌でも暮らせるようにと願い建設した耐寒住宅です。当時、木造板張の街の中に4階建ての鉄筋コンクリートビルが建っただけでも驚くべきことですが、4階には鉄骨で組まれた温室もありました。

4階の温室 秋山記念生命科学振興財団 所蔵 より

 鉄骨で組まれたガラス張りの温室は、地下のボイラーから供給される温水で冬季も暖められ「常夏の間」と呼ばれていたそうです。そこで育てられた花や植木が見頃になると1階談話室に併設された温室に移されて、そのような緑に包まれた暮らしを気に入った先代は、ここで余生を快適に過ごされたそうです。

1階 談話室と併設の温室 秋山記念生命科学振興財団 所蔵 より

 談話室や温室は大理石乱貼りの床にラタン家具が置かれ、窓辺には木製ブラインドが設置されていて、まるでアジアンリゾート風のインテリアですが、これに対して隣接する応接室を兼ねた居間は重厚な空間となっていました。寄木に組まれた床にウォールナット材で仕上げられた壁面、そして大理石のマントルピース風に設えられた暖房機が、どっしりとした構えを演出しています。

1階 居間兼応接室 秋山記念生命科学振興財団 所蔵 より

 このように贅を尽くされた応接室は東京からの来客を想定されたものだったのでしょうが、仕事の話が終わると屋上でジンギスカンがふるまわれ、おもてなしの総仕上げもされたのだそうです。

 5代目社長でいらした秋山孝二さんも幼少期の記憶にはっきり残っているそうで、夏にはそこから豊平川の花火大会も眺めることができたのだそうです。その頃は、孝行ビルと豊平川の間に視界を遮るような高層ビルはまだ無かったのです。
 1997年のこと、4代目社長 秋山喜代さんがご自宅を新築された際(現 愛生館文庫)、応接室にこのマントルピースを移築されたそうです。孝行ビルは無くなりましたが、その一部分は今も残っていたのでした。

 参考 秋山孝二の部屋もご覧ください。
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