建築年表 公共編

1956

北海道大学 建築工学科校舎

1956年

札幌市北区北12条西9丁目

現存せず

北海道大学 工学部建築工学科 木村徳国助教授

島藤建設 戸田組
 2024年11月9日に執り行われた「越野武先生を偲ぶ会」にて、ご遺作となった「札幌クラシック建築追想」を謹んで買わせていただきました。
 その本には、札幌の建築と共に越野先生の人生そのものが書いてありました。とりわけ興味深かった建築が、北海道大学建築工学科の校舎でした。この校舎は、東京大学工学部の大学院生だった木村徳国さんが1952年に北大工学部の講師として招かれ、その後ほどなくして設計された建築だったそうです。

北海道大学建築工学科の校舎北海道の建築 1863-1974 日本建築学会北海道支部発行 より

解体直前の2007年6月

 越野先生は「出来たてホヤホヤ」のこの校舎で学生時代を過ごされ、しかもこの建築に鮮烈な印象を持たれたのだそうです。つまり越野先生の建築史研究へのきっかけは、この校舎によっているようなのです。さらに、次のように想像されたそうです。「この校舎の設計に際して(木村徳国先生)は、(ミース・ファン・デル・ローエによる)ワイゼンホーフ・ジードルングの集合住宅を相当に色濃く下敷きにしていたのではないか。」ということでした。

1927年 ワイゼンホーフ・ジードルングの集合住宅ミース・ファン・デル・ローエ TASCHEN2006年 より

 私はこの校舎が、当時どんな評価だったのか気になっていました。木村徳国さんを招いた北海道大学工学部 大野和男教授は「なんだこれは」と言ったそうですが、軽薄だと非難したのか、モダニズムの純度不足を指摘したのか、木村さんが師事されていたという堀口捨巳さんの影を感じて不満をこぼしたのか、私にはわかりません。どちらにせよ、厳格派モダニズムを好まれていた越野先生にとっては魅惑的な建築だったようで、やはり玄人好みだったのかなと思われました。

玄関と内部階段

 校舎全体の外観もさることながら、玄関上に並んだ2つの窓や庇のデザインもワイゼンホーフ・ジードルングの集合住宅にそっくりです。30年前のミースのデザインを今になって下敷きとする時間差の問題は、長い戦争期間ををはさんでいることを考慮すればほとんど無いのでしょうし、札幌において純粋モダニズムの建築は大変珍しいものであったことでしょう。

 ところで、校舎妻面と渡り廊下が接するところには、下掲のような螺旋階段がついていました。竣工時には無かったものかも知れませんが、私はこの階段裏の彫塑風デザインに憑りつかれてしまいました。

外部の螺旋階段

 歴史的建造物研究の第1人者という越野先生が、その出発点に昭和モダニズム建築との出会いがあったという、私にとっては意外なお話をご遺作で知ることとなりました。
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