田上 義也 作品アーカイブス

1967

大場末吉 別荘

1967年

札幌市南区定山渓温泉東

現存

西俣建設・土館建設・森田興業所
 ある日、新川高史さんという方から「曽祖父の大場末吉が定山渓で別荘を建て、その設計は田上義也氏です。」というメールが届きました。驚いて添付画像を開きますと、写っていた棟札には「設計 田上設計士」と書いてあるではないですか。さらに「しばらく空き家だったこの別荘を改装して一棟貸しの宿とする計画です。」とも書いてありました。

札幌市全図 富樫隆二良 昭和3年7月15日発行より

 かつて1905(M38)年から1980(S55)年頃にかけて中央区北4条東3丁目に大きな木工場がありました。創業者は石川県出身の大場與作さんという方で湯屋業や官公庁からの請負業も兼業し、朝里小学校や札幌神社遥拝所、札幌庁立高等女学校の施工をされたという記録もありました。これを引き継いだのが大場末吉さんで、木工場に併設された大きな住宅に住んでいらしたのですが、1963年のこと定山渓に別荘を着工されたそうなのです。新川さんの言う曽祖父の別荘とは、まさにこの別荘のことだったのです。

 棟札によりますと、着工1963年9月、落成1967年12月となっており、完成まで4年もかかっていることが謎でした。また、田上義也ではなく田上設計士という書き方や、そもそも田上先生の作品リストに大場末吉さんのお名前が見当たらなかったことも気がかりでした。これは本当に田上先生の作品なのでしょうか。ともかくも見学を申し出て、確認に行って参りました。

特徴的な玄関庇 新川高史さんより

外観 新川高史さんより

 現地へ到着しますと、特徴的な玄関庇がお出迎えしてくれました。先行して修繕されていましたが、水平な軒天井と大谷石貼りの柱型を見て、すぐに田上先生の仕事跡だと確信できました。けれども後ろに控えた別荘そのものからは田上先生の香りが伝わってこないのです。まずは中に入って田上先生のデザインを捜査させていただくこととしました。
 内部は良い材料を使った純和風の空間が広がっていました。私は田上先生による和風建築を見たことがないので何とも判定ができないのですが、次のようなことが考えられました。

 隣地では1962年から5年にわたって木造の定山渓グランドホテルをRC造に建替えているところでした。さらに、別荘の向かい側には同じく定山渓グランドホテル社長 浜野邦喜さんによる定山渓ユースホステル(田上先生設計)も1967年に建設されました。このような付近の状況の中、大場末吉さんの別荘の建設予定地が定山渓グランドホテル建替による都合で押出し変更されたようだったのです。

 こうして大場さんは、敷地の変更により建設もいったん中止することを余儀なくされたのではないでしょうか。これが完成まで4年もかかった原因だと思われます。そしてこの間に、当初の設計案への思い入れも弱まってしまったのかも知れません。加えて、洋化かつ不燃化をすすめる定山渓の建築群に対して純和風の設えを求める気持ちが強まり、本格和風旅館工事に手慣れた地元業者さんに相談し始めたのかも知れないとも思われました。
 縁側コーナーの窓のおさまりや階段手摺の造作など、部分的な細部に何となくモダンさが感じられます。これらが田上先生の影響かと思われ、縁側天井材の格子組(うっかり撮影忘れ①)には完全に田上先生のデザインが活きていました。このあたり、元の意匠図も使いながら建設が進められたのではないかと思われました。

テラス側外観 新川高史さんより

 かっぱ淵側に向いた外壁面には、太く大きな柱型が4本並んでいました。このような姿は田上先生らしいデザインだと思いますし、その柱型に窓枠を飲み込ませてすっきり見せようとした意図も伝わってきました。テラスの地面に打たれたコンクリートには柱型に揃わせて幾何学風な目地が入れてあり(うっかり撮影忘れ②)、このような所にも田上先生の味がそっと残っていました。

 恐らくこの柱型を外観全体に並べたRC造のデザインが元々のもので、原案では内部も和風ではなかったことでしょう。大場さんは、原案を活かしながら地元業者さんに木造で建設をさせ、内部は和風で仕上げさせたのではないでしょうか。このような理由で、玄関庇だけにはしっかり田上デザインがありつつ、内外部のいくつかに田上先生の香りが残っているという不思議な建築になったのだろうという結論に至りました。

 さて、この大場末吉別荘はどうして田上先生の作品リストに載っていないのでしょうか。私はまた大それた仮説を打ち立てました。1967年の作品とされている謎の「大坪築七邸」に疑いの眼差しをかけたからなのです。

 「大場末吉」 おおばすえきち→おおぼつくひち→おおつぼちくしち 「大坪築七」

 田上先生から聞き取り、または書き取りをしてリストの作成をした人が、このような間違いをしてしまったのではないでしょうか。私はこれ以外に、同様の事例があることをいくつも知っているのです。
 

北海道銀行 早来支店北海道銀行30年史より

 大場末吉邸の設計図が描かれていた頃に同時進行していた北海道銀行早来支店。私には、原案はこんな感じの鉄筋コンクリート造だったに違いないと思われてならないのです。
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