田上 義也 作品アーカイブス

1970

日本ライオンズ青年の家

1970年

札幌市中央区宮の森1条18丁目

現存せず

北炭建設

日本ライオンズ青年の家 遠望「建築画報 VOL.8 NO.1 1972 特集/北海道の建築」株式会社建築画報社/昭和47年1月

 この建物は、1972年に開催された札幌冬季オリンピックに出場する日本選手の強化施設として日本ライオンズクラブが1970年に建設したものです。オリンピックが終了した後は、ユースホステルとして活用するために、札幌市へ寄贈されました。1998年まで営業したのち2000年頃に解体されたそうですが、私の記憶には残っていません。

 1階に食堂やスキー格納乾燥室、2階には定員100名の男女宿泊室があり、螺旋階段の仕込まれたシンボルタワーを登って屋上へ到達すると、宮の森ジャンプ場を跳ぶ選手の姿を眺めることができたということです。

吹抜の食堂の様子と1階平面図「建築画報 VOL.8 NO.1 1972 特集/北海道の建築」株式会社建築画報社/昭和47年1月

北面の姿「建築画報 VOL.8 NO.1 1972 特集/北海道の建築」株式会社建築画報社/昭和47年1月

 上掲画像の姿は、実は建物の裏側にあたります。しかし、宮の森ジャンプ競技場へ訪れる道程の到着直前で現れるのがこの姿でありますから、田上先生もこちら側の見え方を意識して設計されたのではないかと思います。

 田上先生は、近代オリンピックの父と呼ばれたクーベルタンによる標語「より速く、より高く、より強く」をデザインテーマとし、シンボルタワーの採光窓には三角形を用いて幾何学的に配置させ、雪の結晶を造形させたのだそうです。頭頂部に何ともデコラティブな屋根型が被さっていますが、この内部には貯水タンクが設置されていて、各室に給水する仕組みとなっていたそうです。

玄関側「札幌オリンピック施設」札幌オリンピック施設編集委員会/1971年12月

 玄関側は寂しいくらいの素っ気なさで、全国のライオンズクラブから集められた寄付金が十分でなかったのかなあと思われました。しかし、屋上の外周に細く並んだ開口穴が、そのような私の疑念を吹き飛ばしてくれるようでもあります。この穴は何のためなのだろうか、雪庇防止のためなのだろうか、デザインなのだろうかと腕を組んでいますと、前川國男さんの東京文化会館の穴が思い起こされてきました。

東京文化会館の庇に開いている穴

 東京文化会館の庇に開いている穴は屋上床面と高さが揃っているそうです。つまり、設計者の前川國男さんは庇の内側にいる人々が床面を眺めた視線を穴を通してそのまま外部まで溢れ出させようとしているようなのです。それに加えて丹下健三さんによる香川県庁舎1階ロビーのガラス下枠も床面から上がっており、視線が庭へ伸びていっていたことを思い出しました。しかし雪国の建築では、屋上床面にそろえて穴をあけるとマズイことになるでしょう。ですから、丹下・前川の和風モダニズムをそのまま持ち込むわけにはいきません。田上先生は恐らく高めの場所に穴をあけたと思いますが、中央の建築哲学に固執するよりも単にデザインとして活きれば良いと柔軟に解釈されたのだろうと思われます。図面を見る機会があれば、ぜひ確認してみたいものです。

香川県庁舎のロビー

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