18禁建築

18kin/2011

もう一人の自分が解体現場に憑りつかれている

2011.02.14

 古い建築に興味を持ち始めた頃、それらが無くなっていくことが残念でなりませんでした。建物の解体とともに、その記憶までが消え去っていくことに遣る瀬なさを感じました。

 というわけで、いつもカメラを持ち歩くようになり、解体されそうな建物を記録する癖がついてしまいました。そんな事を繰り返しているうちに、建物の余命の見当がつくようになりました。その結果、解体現場に立ち会えるようになったのです。

 いつの頃からか、素敵な建物が解体されるのは惜しいと思う反面、別の自分が解体を求めていることに気がつきました。特に、保存を求める声が多ければ多いほど、解体の瞬間に立ち会いたくなってしまうのです。私は既に解体現場に身を置きたいとだけ願うようになっていました。

 建物の存在していた時、解体されている時、もう無くなった跡を記録することで、その建物の歴史を私の中に閉じ込めることができます。
 こうして私は、時間の征服者となるのです。



 さて、さっぽろ雪祭りが終わりました。
 今日は雪像解体の日なのです。
 昨年、その解体シーンを偶然見掛けて戦慄しました。
 あれから今日の日を1年も待ったのです。
 想像以上の観衆がいます。
 観衆からこんなにジッと見つめられる事は、本番の会期中でも無いはずです。
 私と同好の人々がいる。
 同じ感覚を共有できる喜びと、この感覚を誰にも理解されなくても良いから独占したいという不満とが渦巻きました。
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