外部階段を補修している父のモルタルのコテさばきが、素人にしては上手すぎました。追求してみますと、若い時に左官職人だったと白状したのです。
19,20歳の時だけ増田工業という左官屋で職人をやっていた。清水建設の下請けをやっていて、自分も大通公園の噴水を作りにいった。月給が7800円で安かったから辞めちゃったよ、と。
大通公園西3丁目の噴水は、1961年の拓銀本店の完成記念に拓銀から寄贈されたものと伝えられています。拓銀本店も噴水も清水建設の施工だという記録が残っていますから、父の記憶に間違いはなさそうです。
それにしても、なぜ今になって、そんな話を知らなければならないのか。