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「札幌建築塾」について語る

2019.11.05

 北海道大学工学研究院 建築デザイン学研究室が、-戦後北海道の建築界を描く-と題して、第1回「札幌建築塾」について語る を開催されるというので、体を清めて拝聴しに行きました。

 札幌建築塾とは、1981年から1987年まで、建築家・学者・作家など建築に関わる専門家たちが集まって設立したもので、メンバーだった方々から当時を振り返って語っていただくという貴重な機会となりました。

 どのような心意気で活動していたか、どのような成果を残したかということがメインの内容でしたが、圓山先生が「僕はアフターユニバーシティじゃなくて、アウターユニバーシティだったから。」と告白されたことにドキリとしました。
 「アフターユニバーシティ」とは、大学を卒業して独立してはみたものの仕事も少なくて不安な、そして自由な様子を表した言葉だと思いますが、圓山先生の言うアウターユニバーシティとは、「OUT OF 北海道大学」という意味だそうなのです。

 「僕は北大出だけど異端だったから。(参加していた。)」
 また「北大は(官僚や技術者を養成する学校なので)札幌建築塾とは相対するものだったから。」という発言を聞いて、メンバー表を1人づつ確認してみました。この方も異端なのかと思ったり、当時活躍されていた建築家でもメンバーになっていない方々がいることに気がつきました。そういう方々から「札幌建築塾」を語ってもらえれば、さらに深く当時の状況が見えてくると思われました。
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