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千歳に残る掩体壕

2022.04.03

 掩体壕とは飛行機を隠して敵の攻撃から守るためのもので、これはコンクリートの屋根のある有蓋式とのことです。太平洋戦争中の1943(S18)年頃の学徒動員で当時の小樽高商の生徒たちによってつくられたという記録があるそうです。そのいくつかがまだ千歳基地内外に残っているという噂話に、いつの日か見に行ってみたいものだと思っておりました。

 このたびついに、基地外に残っているはずの1基を確認しに行って参りました。熊避けの重装備で林の中を歩くこと数キロ、3時間ほどの探索の末に到達致しました。

 巾17m高5mくらいという掩体壕は、厚さ45cm程のコンクリートアーチです。これは鉄筋無しのコンクリートだけで持ち堪えているのだろうか。いやそれはありえなく、どこかで鉄筋が見えているはず。ところが剥きだした鉄筋は見当たらなく、クラックに染み出した赤錆のようなシミが鉄筋の存在をかろうじてにおわせていたのでした。

 戦争で培われた技術は、戦後のモノづくりに色々な場面で活かされていると聞くことがあります。そうであれば、戦後の建築に見ることの多いコンクリートアーチは、掩体壕のデザインを引き摺っているのではないでしょうか。戦時中に掩体壕を設計した人や施工した人、または習った人、彼らが大人になって現場を任されたときに湧いて出てくるデザインに掩体壕のようなものが登場するのは、不思議ではないと思われるのです。

赤錆のようなシミ

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