Blog

blog/2022

北海道百年記念施設は何を伝えるか
「大地の手」広場と向き合う

2022.10.23

「大地の手」広場より北海道百年記念塔を眺めたところ

 札幌建築鑑賞会の大人の遠足に参加しました。北海道百年記念塔や北海道開拓記念館(現 北海道博物館)を改めて鑑賞しつつ、記念施設全体が何を伝えているのかを再検証するという真剣なテーマでした。その中で、記念塔ふもとにある1973年完成の「大地の手」広場にも真正面から向き合うこととなりました。
 
 実を言うと私は、この「大地の手」広場に不可解な印象を持っていました。企画制作を自主的に始めた青年たちは、最初は北海道開拓の底力となった無名の人々の情熱を受け継ぎ、「手」というモチーフを使って巨像を造ろうとしていたそうです。ところがいつの間にか、人間性の回復を願った絆づくり運動となり、最終的には自然環境を破壊させながら行われる開発の「手」、ともすれば悲劇的文明をつくってしまう「手」に正しい位置づけを与えようと趣意を変更させたようなのです。なぜ体制寄りの姿勢から反体制寄りへの姿勢とも言える方向への変更がされていったのかという疑問だけでなく、夥しい数の手形を見せつける方法に怪奇な威圧を感じ、碑文の意図が掴めず、当初の2万人分の手形を集めるという目標への焦りなのか、数合わせのような手形も見えてしまうところに引っかかっていたのです。

 見学中、「北海道百年記念塔を解体するというのなら、この大地の手広場も同時に解体するのが筋ではないか。」という参加者の声が聞こえました。私は「北海道百年記念塔 VS 大地の手広場」と認識をしていなかったので、そういう狙いだったのかとハッとしました。そして、大阪万国博覧会EXPO'70の「太陽の塔」背中にある「黒い太陽」を思い出しました。黒い太陽を文明批判の象徴としたと聞いていたからなのです。これにならって北海道百年記念塔を表の顔と考えれば、大地の手広場は裏の顔となるでしょう。そのような両義性をこの北海道百年記念施設で表現することも、大阪万博以降には時代が変化し受け入れられるようになったのではないでしょうか。そうであればこそ、「体制側」からも大地の手広場建設に理解が示され、この場所が建設地として承認されたと思われるのです。

 北海道百年記念塔の原案では、「先人の霊魂」を表す石積みがその麓におかれる予定でした。予算の都合で実現しなかったと伝えられています。しかし、もしも実現していたら、大地の手広場との対比は明確にはならなかったでしょう。その対比を目的に石積みが取り止めになり、大地の手広場が招致されたかもしれないと考えると、恐ろしくなりました。「大地の手」の構想は、北海道百年記念塔のコンペ募集時から準備されていたそうです。体制側の大人たちに誘導され、青年たちが知らず知らずのうちに反体制の姿勢に変身させられていたとしたら...。いや、実は両者に変身の合意があったとしたら...。さらに言えば、「大地の手」が中止となり、先人の霊魂である石積みが復活していれば、北海道百年記念塔は壊されることはなかったのではないか...。
 私の考えすぎであることを願うばかりです。

参考資料
①青年の像「大地の手」概要
②あしたをつくる「大地の手」
③大地の手 昭和46年創刊号  
 以上 青年の像「大地の手」実行委員会 発行
④月刊さっぽろ 昭和48年9月号 P14~P19「大地の手」広場が実現するまで(実行委員の回想記)より
Top