建築年表 住宅編

1970

日本住宅公団 豊平アパート

1970年

札幌市豊平区豊平4条1丁目

北海道建設コンサルタント
 札幌市中心部から豊平橋を渡るとすぐに目に入ってくる日本住宅公団豊平アパート(現UR都市機構 札幌豊平市街地住宅高島ビル)。1階には膨大な量の昭和レトロ雑貨が並べられたアンティークショップがありまして、時おり入ってみることがあります。さて私は、このお店の上部に張り出されているギザギザデコボコな窓周りにとらわれていたのでした。
 ギザギザの中にはお鍋型の窓が連続しています。岐阜市民会館の低層部分のデザインにそっくりではありませんか。岐阜市民会館は1967年に坂倉準三事務所によって設計されたものですから、その3年後に札幌の豊平までこのデザインが伝播してきたようなのです。

新建築 1967年4月号より

 このギザギザデコボコ部分はプレキャストコンクリート製ですが、このコンクリート製品を使って効率よく壁面を組み立てだしたのは、日本住宅公団が最初と伝えられています。高層アパートの壁面だけにとどまらず意匠としてまで活用した点に、当時の札幌にもあらわれはじめた余裕が感じられるようです。

 ギザギザデコボコ部分が坂倉準三事務所のデザインであるならば、コルビュジエの作品にその原点があるに違いないと作品集をめくってみました。しかし、どうしても見当たりませんでした。他の資料を広げているうちに、オスカー・ニーマイヤーによるブラジリア計画の大統領官邸に根っこがあるように思われてきたのでした。

 ところでこの日本住宅公団豊平アパートは、それまでにあった木造住宅がひしめく中に建設されました。ですから、この11階建のアパートの登場は周囲に住む住人たちを困惑させたそうなのです。

1976年の豊平アパート付近 国土地理院の空中写真に加工

 上掲画像を見ますと、アパート西側が完全な日陰になっていることがわかります。恐らく午前中いっぱいは真っ暗だったのではないでしょうか。当時の法律では1日当たり3時間の日照が確保できればOKという基準だけがあったそうですが、日射不足で健康が損なわれたという住人のAさんが日本住宅公団を相手に損害賠償を求めて訴えをおこしたそうです。
 
 その判決がどのように下されたかはわかりませんでしたが、その後も日陰の状況はしばらく変わることがなかったようです。1991年の事、豊平川側にラマダ・ルネッサンス・ホテル(現プレミアホテルTSUBAKI)が建設された時に区画整理がされたようで、豊平アパートの西側がホテルを隔てる道路となったようでした。
 この道路部分に、日陰となったたくさんの木造住宅が建っていたのです。
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