建築年表 住宅編

chrono/1959

林哲夫邸

chrono/1959年

札幌市中央区南18条西10丁目

現存せず

三菱地所 北海道建設事務所所長 林哲夫

戸田建設

北方建築 VOL,3 No.6 より

 三菱地所北海道建設事務所の2代目所長として、1956(S31)年から1965(S40)年までの9年に渡り、戦後北海道の設計業界で尽力された林哲夫さん。この住宅は三菱地所の所長社宅として、そこに住む林さんご自身が設計されたものだそうです。

 林さんは前任の小野田敏夫さんが8年で本社に戻った後を引き継いだので、同じくらいの札チョン生活と想定されていたのではないでしょうか。赴任3年目で自分の家を設計せよとの会社命令を受ける男の気持ちを考えますと、北国での勤務が長いものになるだろうことを後ろ向きに捉えるものではないでしょうか。ところがこの住宅を見ますと、林さんのやる気満々のデザイン表明と家族向けの間取りに裏打ちされた覚悟が感じられるのです。

玄関北方建築 VOL,3 No.6 より

 戦争も終わったばかりの1947(S22)年、本州の大手事務所の中でトップバッターとして北海道に拠点を持った三菱地所。そもそもは三菱鉱業の炭鉱住宅の設計が目的だったそうですが、官庁物件や本州企業の札幌支店ビル、そして道内大手企業のビル建設も数多く手がけられました。大きな仕事をやりなれた林さんが自らの家を設計するにあたって採用したのは、いつもは使わないサーモコンクリートでした。専用の既成型枠を使ったので軒高が低くなってしまったそうなのですが、その条件を逆手にとった凸凹の多い壁面と薄くて深い軒がとてもカッコいいです。大きな住宅ではありませんがデザインの密度が高いのでリッチに見え、ビルの防水技術を応用したのでしょうか、完全なフラットルーフに見える屋根が鋭い表現となっています。

リビング北方建築 VOL,3 No.6 より

8帖和室北方建築 VOL,3 No.6 より

 妻面に飛び出た凸部分は、なんと和室の床の間でした。内部デザインがそのまま外部のデザインとして成立している究極の合理こそ、モダニズムの参考書のような存在だと思います。南面に並べられた8帖と6帖の和室、リビングとダイニング、そして子供部屋の洋室。北側には、水回り関係と女中部屋。単純を突き詰めたかの如くの抽象具合は外部だけでなく、内部にも徹底されていました。襖の市松模様が、桂離宮への敬意の表れにも見えてきました。翌年に竣工した三菱商事の社宅もこの住宅と共通するデザインが感じられ、林さんによる仕事跡に違いないと思われてきます。

 ところで林さんは戦時中にインドネシアで日本軍施設の設計や工事監督をされ、終戦後は捕虜として強制労働に従事させられていたそうです。復員後に北海道で所長を長く勤められたのち、本社に戻って役員になられました。濃密な男の人生と共に生み出された建築物として、北海道相互銀行本店農林中金札幌支店、秋山愛生館ビル、北海道拓殖銀行本店、北海道ビルヂングなどを思いおこしますと、当時の主要な建築物に多く関わられた林さんの偉大ぶりに驚嘆させられます。
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