ホッケン研 訪問取材

第15回

沼田幸太郎邸

1級建築士 本塚忠雄

1969(S44)年

木造2階建 148.9㎡

工藤工務店 工藤薫

札幌市西区発寒14条2丁目
スペシャルサンクス 撮影 佐藤甲介さん

佐藤甲介さん

 以前よりずっと気になっていた沼田邸。発寒地区には個性的な古い住宅が点在していまして、その中でもこの沼田邸はカブトガニの甲羅のような屋根を持った外観が独特だったこともあり、脳裏に焼き付いていました。

 昨年の夏、沼田邸の敷地に新築住宅計画の案内板がたっているのを見つけて、運転しながら「あっ!」と叫んでしまいました。新築住宅完成と共に解体されてしまうかも知れない沼田邸の先行きを心配し、何度も様子を見に行きました。ある日のこと、裏庭でお花の手入れをされていた沼田さん御夫婦をお見掛けし、思い切ってお声がけしましたところ「来年の花のきれいな時期ならまだ解体工事に間に合うよ。」と御快諾下さったのです。そしてこのたび、待ちに待った訪問取材がついに実現したのでした。

アリウムギガンチウムとともに佐藤甲介さん

 正面からは和風の住宅のようなのに、横や後ろに廻りますとその和風らしからぬ屋根形状に驚かされます。片流れでありつつ両側へ大きく折り曲げられた屋根。雪下ろし作業を不要とすることが理由と思われますが、ダイナミックでありつつも不思議なデザインです。

ボンボンの紫色と外壁の黄色の対比がこの住宅の個性をさらに強めているようです佐藤甲介さん

 こんなにも凝った外観の住宅ですから、内部もきっとすごいことになっているに違いないと期待していました。玄関ドアを開けた瞬間に登場した階段の斬新さ。心の準備が出来ていたにも関わらず、いきなりノックアウトされてしまったのでした。

竹が支えていると見せかけた階段佐藤甲介さん

 目を丸くして呆然とした我々に、ニコニコしたご主人が言いました。

 「この階段は、この竹で保っているのかい?」

 ご主人の質問に、我々はたじろぎました。竹が階段を支えるなんて、見たことも聞いたこともありません。その階段は踏板中央に桁のある力桁階段でしたが、そのデザインが複雑すぎてすぐには返答できませんでした。しかもこの力桁階段は、踊り場から方向を変えて2階へ到達していたのです。

 「最初は手摺もない階段だったの。だから子供たちは、怖がって座り降りするくらいだったのよ。」竣工後、3年した時にお嫁に来られたという奥様も思い出話を語ってくださいました。

 さて階段をよくよく観察してみますと、踊り場で分かれた上下2本の力桁は、踊り場の踏板やそれを支える梁に寄りかかって、危なっかしく釣り合っていたのです。ご主人の言う竹柱は、ギリギリ釣り合っている階段へ僅かな保険を掛けるように支えているのでした。こうして、竹が支えていると見せかけた騙し絵のような階段が表現できていたのです。

釣り合っている部分詳細ハッシーことホッケン研 橋村明

踊り場の踏板は竹を絡めて透かせたデザインとなっていた佐藤甲介さん

複雑な構造美に目が点となるホッケン研 ハッシー佐藤甲介さん

竣工時の内部 階段・居間・和室沼田さんより

左上が建主 沼田幸太郎さん(竣工時の記念写真)沼田さんより

 さてこの沼田邸は、今回取材させていただいた沼田貞夫さんのお父様である沼田幸太郎さんが1969(S44)年に建てた住宅です。我々ホッケン研としましては、どなたの設計だったのかという点が最大の関心事でありました。ありがたいことに沼田さんは、設計図や確認通知書、更には工事請負契約書と見積書、さらに竣工時の記録写真まで用意して取材に備えて下さっていました。

 さっそく確認通知書を読みますと、設計者記入欄にはこのようなお名前が書いてありました。

 1級建築士 本塚忠雄

 確かに設計図は本塚さんが描かれたのでしょうが、沼田さんのご記憶を色々と伺っておりますと、施工者 工藤工務店の工藤薫さんの仕事ぶり、こだわりぶりが明確に伝わってきました。工藤さんも発寒に住んでいて、まず最初に川端邸という大きな切妻屋根の家を建てたそうです。続いて沼田さんの本家や親戚筋の剣持邸を次々と手がけ、さらに沼田幸太郎邸にも着手をされたのだそうです。工藤さんへの信頼が、これら発寒の地主仲間に広がっていったものと思われますから、設計の基本デザインや方針は工藤さんで、それを元に本塚さんが図面に描き起こしたものではないかと考えられました。

立面の設計図(訂正前の外観も捨てがたい)沼田さんより

 設計図には何故か本塚さんの署名がありませんでした。また、この立面図は完成した姿とかなり異なっているにも関わらず訂正描きしたままで、正しく変更した図面も有りませんでした。ということは、設計図にチェックを入れたまま工藤さんの施工力に任せて着工したと推測できましょう。つまり、本塚さんは形式的に設計図書を整えるだけの依頼を工藤さんから請けただけだったのではないかと思われるのです。

2024年5月 芝桜と共に

 外観の話に戻りますが、裏の勝手口に架かる屋根が鋭い三角形となっており、妙に惹きつけられていました。普通ならもっと素直で無難な形となるのではないでしょうか。しかし、この主張強き屋根型が、後ろの姿にも裏側と思わせない見せ場を作っています。「こちらが玄関と思って訪ねてくる人もいるのよ。」と奥様が笑って教えてくれた程なのです。この謎が設計図を見て解けました。上記の立面図をみますと、当初の片流れ屋根は後側でバツっと途切れて少し内側に折れ込むようにデザインされています。ここに勝手口の屋根を架けるなら、鋭い三角形しか選択肢はありません。建主の沼田幸太郎さんの依頼で家の高さを抑えこむように変更した工藤さんは、屋根型もそれにふさわしく見直したようですが、勝手口の屋根型だけは当初のままとしたのでしょう。この鋭い三角形は、当初のデザインの名残だったのです。

沼田さん御夫婦と記念撮影佐藤甲介さん

 これまで見てきたように、沼田幸太郎邸はデザイン心のある大工が存分に腕を振るった住宅であると言えましょう。大工の工藤薫さんは、腕が良いだけでなく建主の要望を形にできる能力に長けていたからこそ、次々と地主さんの住宅を手掛けることができたに違いありません。この沼田邸は当時の一般的な家の3倍ほどにもなる546万円を掛けて建設されました。ここでは披露しきれないほどの細かな設えや工夫の凝らされた造作を堪能しながら、工藤薫さんと沼田幸太郎さんとの出会いや建設方針のやり取りにどんなドラマがあったのかと想像をかき立てられました。現当主の沼田貞夫さんのご記憶にも強く残っているほどの個性の持ち主だったという工藤薫さんですが、沼田幸太郎邸を完成させた後しばらくして、工務店をたたまなくてはならなくなってしまったそうです。キラ星のようにひとときの活躍の跡を残された工藤薫さん。歴史に埋もれた優れた大工を知り得たことに感謝しながら、沼田邸をあとにしたのでした。
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