ホッケン研 訪問取材

第5回

皆藤健邸

2013年09月28日9:30~13:30 快晴

上遠野 徹

1963(S38)年

木造2階建

巻工務店 吉田棟梁

札幌市中央区円山西町
 上遠野先生の作品らしき木造住宅が見つかったという情報が舞い込んできました。作品集にも建築雑誌にも掲載されていない謎の住宅作品との出会いを想像し、発作を抑えるために深呼吸をしなければなりませんでした。初期木造作品は、斬新な設計アイデアと美しい収まりの融合が一番の見所なのです。
 念願の住宅が近づいてきます。2つの片流屋根が交差しあった姿、凹凸の多い凝った外観が、上遠野先生の作品としては珍しいと思いました。しかし、独特の窓割と玄関周りの造作デザインを見て、一目でそれと確信できました。手入れの行き届いた庭とともに大事に住まわれてきた様子を拝見し、皆藤ご夫妻の住まいへの愛着が溢れ出てきているように思われました。
 庭側へ伸びる庇は、居間の大窓を深く覆っています。これは、夏は上方からの直射日光を遮りつつ、冬は低い太陽を部屋の奥まで迎え入れる仕掛けです。その窓は東面と南面の壁を大胆にL字型に開いています。建設当時、このような開放感を住宅で味わう事はなかなかできなかったはずです。上遠野先生は単板ガラスを2重に組み立てる設計をし、その心意気に乗った吉田棟梁がそれを実現したのだそうです。外側へスウィングする単板窓の内側には、夏は網戸を冬は内窓をはめる仕掛けになっていました。
 イタヤカエデの床板に立つ、建築費の1割をも占めたペチカ。1階を充分に暖めた暖気は、居間の天井にある有孔板を通って2階へ広がっていきます。ペチカの裏側で大量に温められた湯は、冬場の家事・洗面を楽しいものに変えてくれたのだそうです。
 波板ガラスに囲われた玄関は、外部の光を取り入れる透明空間になっています。鉄骨住宅に特徴的な洗練された玄関空間の萌芽をこの時代の住宅にも発見する事ができました。上遠野先生の美意識は、いつの時代にもぶれる事無く綿々と求められているのだと、改めて確認することができました。
 1960年、東京出身の御主人が札幌のテレビ会社に就職したことで定住を覚悟され、円山西町を気に入って地主さんから200坪の土地を購入されたのだそうです。そして、元々住まいに深い興味を持たれていた奥様が、当時の住宅雑誌「北国のすまい」に掲載されていた「栗谷川健一邸」に魅せられてしまったのだそうです。その設計者、上遠野徹氏に直談判して設計依頼をするべく、奥様は生まれたばかりの赤ん坊を背負ったまま竹中工務店へ向かったとのエピソードを微笑ましく伺いました。
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