ホッケン研 訪問取材

第14回

パークサイドコーポ

(株)北国建築研究所

1970年6月

S造5階建 一部地下1階 2,372㎡

館工務店

札幌市中央区南17条西9丁目

完成予想パースパークサイドコーポ 販売パンフレットより

 戦後北海道の建築を眺めるにあたり、マンションのことを避けて通ることはできません。住宅公団や北海道住宅供給公社が建設した団地、企業が建設した社宅などには間取りや設備の変遷などに注目すべき歴史の流れがあるのかもしれませんが、なかなか興味深く見ることができないでいました。そのような折り、このパークサイドコーポにお住まいの大黒さんからメールを頂いたのです。やはり、民間が建設するマンションの方に面白いものがあるぞと思い、1960~70年代のマンションの記録を始めたタイミングでしたので、大黒さんからのお知らせは、まさに渡りに船という機会となりました。

 本州では古いマンションを活かして素敵に暮らしている方々がたくさんいて、むしろ古いがゆえに人気となっているマンションもあるのですが、北海道においてはヴィンテージマンションという価値観はあまり市民権を得ていないようです。これは北海道における戦後40年間ほどの建物は寒冷地向けの施工や断熱技術が未完成であったため、建築の劣化が進んでいたり寒さや結露に悩まされたりする室内環境に原因がありそうです。つまり、このような北国独特の悪条件が、本州におけるヴィンテージマンションのような価値を醸成させなかったと思われるのです。それにも関わらず、レトロ建築の魅力にとりつかれて実際に暮らしてみようとされる人はいまして、その意匠や空間に身を浸すだけでなく、水道管や設備のご機嫌を見ながら暮らさなければならない点を好ましい人間臭さとして、またリアルな生活感として前向きに捉え生活を楽しんでいらっしゃるようです。
 1970年6月に完成したこのパークサイドコーポは、札幌の高級住宅地の山鼻に建設されました。札幌における民間のマンションは1964年から年数棟程度の建設実績しかなかったのですが、1970年には14棟の建設がされ第1次マンションブームと呼ばれたそうです。

 このマンションは外壁がALC版貼りとなっているところが最大の特徴で、これが鉄骨に取り付けられているようです。当時のマンションは鉄筋コンクリート造か鉄骨鉄筋コンクリート造で建設されることが多く、このパークサイドコーポだけは例外的に鉄骨造が採用されていました。設計を担当した(株)北国建築研究所は、連装窓のある外観を求めつつ、軽量で耐火性もあり更に当時は断熱性能が高いとされていたALC版にその効果を期待したのかもしれません。ALC版とは軽量気泡コンクリート製のパネル状の建築材料で、1963年から国内で製造が開始されたばかりの新建材でした。有名なものではドイツ技術のへーベル、ソ連技術のシリカリチート、スウェーデン技術のシポレックスがあり、このマンションにどの製品が採用されたのかは不明ですが、札幌の民間マンションとしてはどうやら初採用の案件となったようでした。また、古いALC版は劣化して表面の爆裂した状態のものをよく見かけますが、ここに施工されたものにはそのような箇所が無く、その状態の良さにも驚かされました。

 パークサイドコーポは元々ここにお住まいだった齊藤さんが個人で建てたマンションです。それまでのマンションは三菱や三井、住友などの財閥系デベや市内の不動産業者による建設がほとんどでしたから、この点においても特殊な建築主と言えそうです。設計図を見ますと、鉄骨造の定石がしっかりと踏まれながらも詳細な納まりが描いてあり、その手慣れた作図からは十分な経験の持ち主だと推察されました。間取りは7タイプのプランが用意され、当時の住宅公団で一般的であった田の字平面を踏襲しつつも、もっと自由な平面プランを可能とする意図も感じられました。特に南に面した2プランは鉄骨造ならではの柱無しの大空間も可能で、将来の内部改築の自由度も高いものでした。大黒さんによりますと最近発生した震度3の地震の際には揺れに気がつかなかったそうで、山鼻特有の地盤の良さだけではなく、世帯ごとにブレースの入った鉄骨構造が現在もしっかりと効いているのだろうと考えられました。

 マンションの販売は商社のトーメンが行いました。メインの販売価格は600万円台後半~700万円台後半で、当時の一般的な1戸建て住宅の平均価格である300~400万円に比べますと、かなり高額だったと言えるでしょう。南西角の敷地を活かした窓の大きな明るい室内からは藻岩山を眺めることができ、中島公園からも近いという環境が売りになっていました。この時代のマンションは高所得者向けのセカンドハウスとして、または本州企業の札幌出張者用の宿泊施設として求められることが多く、一般的なサラリーマンにとっては高嶺の花といったものだったそうです。このように販売ターゲットが限定的だったために翌年及び翌々年は再びマンション建設は下火となり、1973年の第2次マンションブームまで低迷が続いたそうです。

中島公園から眺めた藻岩山 マンション付近のイメージパークサイドコーポ 販売パンフレットより

当時らしいインテリアとスチーム暖房機パークサイドコーポ 販売パンフレットより

 そのようなパークサイドコーポですから、エントランスから入ればゆったりとしたホールや共用部にお出迎えされます。もちろん設備も最新鋭のものが用意されていました。地下ボイラー室から供給されるスチーム暖房機での全室暖房、キッチンとお風呂の排気は屋上の排気塔から集中排気がされていました。現在は戸別ガスストーブが付けられておりスチーム暖房機は撤去されていますが、当時はまだ石炭から石油ストーブへ燃料が変わったばかりの時代、暖房機のツマミを調整するだけで適温を得られる快適さはとても満足なものだったに違いありません。モザイクタイル貼りのユニットバスも明るく清潔ですし、各世帯の玄関ホールには1階管理人室直通のインターホンがあり、安心な暮らしが保証されていました。

玄関ホールに管理人室直通のインターホンがあります

管理人室の親機大黒様より

 また、このマンションはバルコニーがありませんので、屋上まで到達するエレベーターを使って洗濯物を干す想定がされています。北海道のマンションで屋上を活用できるものは珍しいと思います。設計図には物干し台の細かな図面まで描いてあり、それは今もそのまま残っていました。洗濯物を干しながら繰り広げられるセレブ奥様同士の井戸端会議、そのような昭和の懐かしい風景も思い浮かんでくるのでした。

屋上の物干し

 このように当時最先端のパークサイドコーポですが、現在も修繕を重ねながら大事に使われています。このマンションの魅力に惹きつけられてしまった大黒さんは、なんと、お住まいの部屋とは別にもう一戸購入してしまったのだそうです。この部屋をセルフリノベーション可能な賃貸部屋として貸し出しされるおつもりなのです。本州では人気のセルフリノベーションルーム、これを北海道での試みとしてチャレンジされたいとのことです。

 素敵に住みこなす方との出会いを期待し、ひいてはパークサイドマンションにヴィンテージマンションとしての新たな価値が根付くようお祈りするばかりです。これがうまくいけば、北海道のマンションも新たな第2ステージに到達したと言えるのではないでしょうか。

 ご希望の方は、どうぞ下記リーフレットのご連絡先までお知らせしてください。
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