徹先生の妹さん、妹さん、静枝さん、徹先生のお母様、克さん
当時のコンクリートの型枠は、小幅板をパネル状に組み立てて準備したそうです。打ち終わった後の上手に外したパネルをこの住宅の外壁に使ったようです。戦時中に坂倉準三さんが取り組まれた組立住宅に似た肌触りを感じてしまいますが、これは私のこじつけでありまして、戦後復興期の資材不足の中ではこのようなことになるのは当然のことなのでしょう。
それにも関わらず、徹先生らしさは感じられます。ガケ地を相手に半分空中に浮かせた住宅は、子供たちの目を丸くさせたことでしょう。横長窓は窓の外側まで押し出すデザインとされ、大きく開放できるようになっています。開口部の中心に太い柱が無いのは、外を眺めるときにじゃまになると考えられたのかもしれません。真ん中にある固定の窓でたわみ防止としたように見えてきます。玄関へのアプローチは階段ではなくスロープとなっていますが、「やはりスロープか。」と思ってしまいます。
上遠野徹先生は、若い時分に坂倉準三さんに惹かれていたそうです。多感な青春時代に見聞きしたものは、強く心に残るでしょう。建築の世界に進もうと決められた頃、1937(S12)年のパリ万博でお披露目された坂倉準三さんによる日本館の大胆なスロープに衝撃を受けられたのではないでしょうか。
1957年の住宅第1作「高橋邸」でも玄関へのアプローチに幅広の緩やかなスロープが登場するのです。