上遠野 徹 作品アーカイブス

katono/1971

南部邸

katono/1971年

札幌市北区北22条西3丁目

解体 2015年8月

不明
 鉄骨住宅の南部邸。
 設計図を見せていただくと、1969年に設計をスタートさせたことがわかりました。だとすれば、鉄骨住宅の黎明期、上遠野先生やる気満々の時期だったはずです。

 しかし、それなのに何故か上遠野徹住宅作品集に掲載されていないのです。竣工写真さえも見当たらないそうなのです。この南部邸の竣工時、大きく開放した南側には住宅が迫っていて上手く撮れなかったということも考えられます。現地へ行ってみれば、現在の南部邸はマンション群に囲われており、思った通り私のカメラと腕では撮影が不可能なのでした。

 この南部邸、作品リストにさえも載っていないのですから「無かったこと」にされているようにも見えます。

 記録魂に燃えた私は、ともかく撮影のチャンスを待ち続けました。そしてある日のこと、向かいのマンションの改修工事に業者として正々堂々と入り、共用廊下からカメラを外側に構え、目標達成したのでした。
 しばらくして、面白そうな情報が入ってきました。カンディハウスさんが、創業時に販売した木製1人掛けイス「ロカール」を必死になって探しているというのです。1969年に100脚ほど製造したもので、現存確認数は今のところ1脚のみだということです。新たな現存確認情報提供者に図書券10,000円分をプレゼントしてくれるそうなのです。

 「このイスなら知っている。10,000円もらったり!」と、古い資料を引っ張り出しました。

寒地住宅第12集 北海道建築指導センター1973年より

 しかし、惜しいことに何邸の写真かわかりません。調べまわして、その写真がこの南部邸だと分かった時には、カンディさんの特派員がすでに南部邸へ現地確認に行ったあとでした。そしてその報告によりますと、無人の南部邸に「ロカール」は無かったのだそうです。つまり、10,000円はお預けとなったのでした。



 更に月日は流れ、ある日、携帯電話が鳴りました。いつもお世話になっている北海道インテリア研究所の山本桂さんからで「ところで今、南部邸が解体されているのは知っていますか?」と教えてくれたのです。その後の会話は覚えていません。記憶に残っているのは、急ハンドルで車を方向転換させたことです。現地へ到着しますと、かなり解体の進んだ状況になっていました。とりあえずその様子のみを撮影し、引き上げました。
 翌日、上遠野克先生を訪ねて報告しますと「もしかすると、ロカールが出てくるかもしれないから。」と、私に再調査を命じてくださいました。克先生の免罪符があれば内部へ入るのに何の躊躇があろうかと、肩で風を切りながら解体現場へ向かいました。私の長い事情話を辛抱強く聞いていただいた監督さんいわく「そもそも家具の無い状態で渡してもらう条件だったし、解体の打ち合わせ時にも、そんなイスは無かったはずだけどな。」とのことでした。「そうですか。ところで貴重な内部へほんの少し入らせていただけないでしょうか?」とお願いする私の顔には、もうイスの事はどうでもよくなったと書いてあったかもしれません。

 「あと2,3日早く入ることができれば・・・」と悔やみつつ撮影していますと「そろそろ、いいですか。」と外からイライラを抑えた声がかかりました。後ろ髪を引かれながら玄関まで戻ったところで、土間に落ちている1つの小さな照明器具に目がとまりました。僕と一緒に暮らそうと小脇に抱え、外に出ました。

2階居間?

2階寝室?

連れ帰った照明器具

ありし日の南部医院 (克先生の作品かと思っていた)

 ところで、南部邸併設の医院は一足先に解体が完了していました。あの医院もなかなか印象に残る建物でしたが、上遠野徹先生の設計ではありません。いろいろ話をつなげて想像してみますと、元々は上遠野徹先生が設計をされていた。しかし何らかの事情があり、設計者が変更された。そして全く別のプランで1980年に竣工した。南部氏と関係修復不能になってしまった上遠野先生は翌年出版する作品集から、南部邸を外さざるを得なくなってしまったと思われます。

 私の勝手な想像であります。
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