建築年表 公共編

kochizu/1958

札幌市民会館

kochizu/1958年

札幌市中央区北1条西1丁目

現存せず

日建設計工務 名古屋支店

大林組
 1958(S33)年竣工の札幌市民会館。鉄筋コンクリートの構造体で観客席を支え、その下に生まれたホワイエをスチールの窓枠のあるガラス張りで吹き抜けとしていました。これぞ札幌における戦後モダニズム建築の代表でした。
 その吹き抜けは、廻り階段で到達する2階ロビーフロアをも包んで立体的な空間になっていました。天井の構造も見せっぱなし、存在感のある丸柱やグリッド分割された床デザインなど、当時の日本の先端デザインが表現されていました。まるで、この4年前に竣工したばかりの前川國男さんによる神奈川県立図書館をさらにボリュームアップしたかのようなホワイエでした。

竣工時のホワイエ 新建築1958年12月号より

閉館前年のホワイエ

 新建築1958年12月号に掲載された設計者の説明によれば「~札幌の街が東京の何処かにいるような感じに戸惑い~皮層的な近代化がもたらすこの矛盾を突き破って、新しいドサンコの意識が芽生えるのを願わずにおられない。~厳しい自然環境から彼等を守る城として彼等の意欲を称え、鼓舞しながら、内に人々を温かく迎える空間を内蔵するものでありたい。」としていました。

 この建物も東京の何処かの建物のように見えるんではないかと思うことはさておき、このような設計意図で計画をしたのが日建設計工務名古屋支店の方々だったそうです。なぜ名古屋チームが担当したのかが謎だったのですが、最近になって北海道事務所所長 池田恵さんがプロジェクトマネージャーだったということを知り、腑に落ちました。この2年前まで札幌市建築課長だった池田さんは、定年直前に日建設計工務へ移られて所長になりました。つまり発注者側の担当者だった池田さんがいつの間にか設計会社の責任者に変身し、この設計業務を獲得したということのようなのです。このような動きは現在ではキワドイことになりそうですが、札幌市の要望を知り尽くした池田さんが予算も含めて最善のものを形にされたということなのでしょう。ちなみにですが、池田さんは札幌市建築課の前に愛知県建築課に勤めていらしていたそうです。ですからその時代に懇意になっていた方々が後の日建設計工務名古屋支店のメンバーになったのかも知れず、彼らの設計力に期待して担当させたのかと思われます。更にさかのぼれば、学校卒業後は大林組に就職されていたそうです。様々な点が線でつながっていきます。

西側立面 新建築1958年12月号より

南側より避難階段のある眺め 新建築1958年12月号より

 札幌市民会館の正面の姿が良いのはもちろんですが、西側もまたカッコいいものでした。レーモンドの群馬音楽センターへの過渡期のような構造表現、そして危うくとも美しいガラスデザインの非常階段が組み合わされているところも見逃せないポイントでした。
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