失われた建築

chrono/lost/2014

同時期に解体された2つの住宅に共通する恐るべき和洋折衷度合
桂田邸/荒谷邸

2014年
解体

2014.04.15

桂田邸 札幌市中央区南6条西26丁目2-12
荒谷邸 札幌市中央区南9条西8丁目

2014年 桂田邸 解体/荒谷邸 解体

桂田邸 1954年/荒谷邸 1930頃年
 「桂田邸解体へ」という新聞記事が出ました。
 この建物は、北大初の女性教授桂田芳枝さんの住宅として1954(S29)年に建てられたと伝えられています。桂田さんが亡くなられた後、1988年にレストランへ改装されました。私の学生時代、デートの定番スポットとして、そしてバブル景気の裏参道エリアのお店として大変賑わいました。連続した上げ下げ窓のある丸い壁面の洋風部分とその後ろに控えた和風部分が絶妙に組み合わさり、これぞ和洋折衷の魅力と考えました。

 「昭和初期の和洋折衷住宅のレストランへ行こう。」と、通を気取った私でしたが、後になってその洋風部分こそがレストランの為に増築された部分だったと知りました。恥ずかしい勘違いに顔が真っ赤になりました。

 今になって見れば、その和洋の組み合わせぶりはちょっと強引に見えてきます。和風の住宅のままレストランをやっても良かったのではとも思います。この桂田邸の場合、解体を惜しいという気持ちは、華やかなバブル時代の記憶が失われることにあるような気がするのです。

「桂田邸」 2014年2月7日

2014年4月7日

2014年4月11日 桜の木は立ったまま

 この「桂田邸解体」と同時に、その陰でひっそりと無くなった建物があります。札幌市民交響楽団初代常任指揮者でいらっしゃった荒谷正雄さんの住宅です。

「荒谷邸」 2014年4月6日

 この荒谷邸もなかなか悩ましい外観でした。一見、ドイツ風と見える外観なのですが、玄関には寺院風の破風に懸魚がついています。この混ぜ合わせ方は、和洋折衷を超えたアバンギャルド、いやアナーキーであります。しかしもちろん、荒谷正雄さんの人となりは札幌が誇るべき立派な紳士であり、建築テロリストではありません。

 では一体、このデザインは何なのでしょうか?解体工事の昼休みに入らせて頂いた際、その謎を解く手がかりとなる昭和初期の電話帳を見つけました。

 荒谷さんの電話番号の横に「陶器商」と記載されていたのです。つまり、和陶器屋を営んでいた先代がこの和風住宅に住み、音楽の道へ進んだ息子の正雄さんが後になって洋風へ増改築した。しかし、父の破風と懸魚を形見として遺した、と読んでみました。   2014.4.15 

玄関の破風と懸魚

2階 教室

増築部は北海ハウジング つまり1976年以降となる

洗面所の九谷焼タイルの飾り 写真提供 札幌建築鑑賞会 中村祐子さん

風呂場の九谷焼タイルの飾り 写真提供 札幌建築鑑賞会 中村祐子さん

 見逃していた洗面所と風呂場に残されていた九谷焼タイルの飾り。併設の蔵にもお椀がたくさん残っていたし、先代の荒谷金之助さんが陶器商だったというのは、間違いなさそうでした。
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