失われた建築

lost/2013

M氏研究所

2013年
解体

2013.04.03

札幌市中央区北3条西26丁目

2013年 解体

1978年

画工房

在りし日の姿

2013年9月

 豊嶋守さんのデビュー作、M氏聴覚研究所が取壊されました。この白井晟一風の建物を見ると、一筋縄では理解出来ない白井作品をどう解釈されたのかを想像してしまい、じっくり眺めたものでした。

 この建物が建てられた1970年代における建築を志す若者の気分とは、一体どんなものだったのでしょうか?いわゆる新しい戦後教育を受けた世代には、既成の体制に反抗する熱い方々が多いようです。彼らにしてみれば、高度経済成長期を通して見てきた戦後モダニズムの街並というものは、合理過ぎ、堅苦しく、遊び心の無いものと映っていたに違いありません。その頃にはモダニズムの可能性も出尽くした感が蔓延し、薄汚れたのっぺらぼうと見られたビル街は、それまでの歴史的建築と調和が取れていないと批判にさらされ始めていたそうなのです。

 当時の若者は、モダニズムをしてそれを乗り越えるべきもの、乱暴に言えばぶっ壊す対象としていたのではないでしょうか?時代に乗って、内向した建築をはじめる者、過去の歴史様式をモチーフに再構成しはじめる者、見たことも無い形を表現しはじめる者達が現れ始めました。

 札幌に於いては1969年に住宅金融公庫が木造住宅にも適用され、それまでの画一的な三角ブロック住宅に対する欲求不満を爆発させる土壌ができたと思います。これらは方法の違いこそあれ、70年代の本流になりつつありました。新たな世代による既成建築業界への逆襲の気分が、当時の若者達の心にあったに違いないのです。

 そのような歩みを進めた建築史において、モダニズム全盛時代もその終焉の時代においても、われ関せずを決め込んだ白井晟一さん。メインストリームに背を向けた人に影響を受け、デビュー作でそれをやってしまった豊嶋さんとはどんな若者だったのでしょうか。M氏研究所は無くなってしまったが、今度豊嶋さんにお会いできた時に当時の話をお伺いしてみよう。
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