失われた建築

lost/2013

丸一斉藤ビル

2013年
解体

2013.11.01

札幌市中央区南1条西2丁目

2013年 解体

1951年

竹中工務店北海道営業所(非公式の言い伝え) 

山口建設
 「丸井今井一条館西ビルが10月いっぱいで閉鎖、来月より解体」という新聞記事がでました。この建物は元の丸一斉藤ビルのことで、丸井に譲渡されたあともそのまま活用されていました。丸井さんもこのビルのことを貴重で美しいと理解されていると聞いたことがありますが、遂に取壊の判断をしたようなのです。昭和20年代の建築がまたひとつ消えてしまいます。

 このビルの建設当時は、本州企業の札幌支店ビルか官庁建築がポツリポツリと建つ程度だったそうです。そんな戦後の物資不足の時代に、札幌の会社が鉄筋コンクリートのビルを建てたのです。きっと、札幌市民に復興の自信を与えてくれたに違いありません。しかもこのビルは、オーチスのエレベーターがついた贅沢建築だったのでした。

 以前、そのエレベーターが今でも動いているのかどうか確認しに行ったことがあります。恐る恐る呼出ボタンを押すと、「チーン!」という大きな音が上階から聞こえてきました。見上げてみれば、階数表示板の針がぶきっちょに左へ動きだすではありませんか。その針の動きに合わせて、箱がゴトンゴトンと揺れながらゆっくりと下りてきました。その箱と共に現れたエレベーターのオールドガールが白手袋で蛇腹式の扉を開きながら、「何階でいらっしゃいますか?」と聞いてきました。自動運転と思い込んでいた私は、呼出ボタンなど押していませんというような顔をしてごまかしました。
 ビル閉鎖10月末日のおしせまったある日、最後の姿の確認に行ってみました。しかし「停止中」という札の付いたエレベーターは、もう動いていなかったのです。
 
 その夜、熱が出てうなされました。夢の中に、このエレベーターに乗せてもらおうと考えている私が登場しました。素直にお願いをすれば、きっと乗せてくれるだろうと企んでいるのです。呼出ボタンを押すと、針が動き出して箱がゆっくり下りてくるではありませんか。願いが叶ったと手を打って姿勢を正しました。白手袋が蛇腹の扉を開く。全て順調に事が進んでいました。例のオールドガールに話しかけようとして口を開いたまま、私の体が固まりました。
 
 その女は、小学生だった私を捨てて行方不明になっていた私の母だったのです。
 
 「・・・母さん。」

 女は少し黙った後に、「私には、息子などありませんよ。」と言い捨てて、再び上っていってしまいました。非常階段で追いかけようとする私の足がどうしても動きません。というところで目が覚めた私は、ベッドと壁の隙間に挟まっていたのでした。
 

 昨晩、寺山修司の映画を見たのが良くなかったのです。
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