失われた建築

lost/2022

日本清酒 壽みそ札幌工場

2022年
解体

2022.08.25

札幌市西区発寒10条2丁目

1962年

1962年 日本清酒 壽みそ札幌工場

 戦後の混乱も落ち着き、味噌の統制が撤廃されると1951(S26)年からその生産も順次拡大したとのことですが、当時の日本清酒札幌大通味噌工場(大通東1丁目 現在の中央バスターミナルの所)では生産能力が足りなく、新工場の建設が計画されました。琴似発寒川と函館本線が交差した場所が選ばれて建設されたのが、この日本清酒 壽みそ札幌工場ということです。

1962年 壽みそ札幌工場と同時に完成した原料棟

 また、味噌需要の上向きと共にサイダーなどの清涼飲料水の需要も高まり、1957(S32)年に清酒工場東端(南3東6)に建設したばかりの飲料水工場でも対応できなくなってしまったのだそうです。そこで1965(S40)年のこと、敷地に余裕のあった壽みそ工場内に新たな飲料水工場が建設されたのだそうです。工場のファサードに私の好物である「くりぬきブロック」が使われているのを見つけ、うれしくなりました。

1965年 新飲料水工場

 この工場群は、日本清酒にとって主業である清酒製造以外の一面を語るものです。会社はこれらを解体し敷地を売却することにしたそうです。商売の難しさを見せつけられたようでもありますし、逆に売却益による次の一手の準備なのかとも思います。もしくは酒業の専業化がブランド力を高めると判断されたのかも知れません。会社の舵取り役とは、経営の潮目で大きな決断をできる人なのでしょう。

千田邸の塀跡か

 ところで、この工場群の敷地は元々ここで農家をしていた千田さんから購入したものだったそうです。工場北側には千田さんの住まいがあったはずなのですが、そこには現在もかなりワイルドな塀の面影が残っています。この塀と釣り合うくらいの住宅とはどんなデザインだったのかと気になって仕方ありません。

エッジの効いた大きく平べったい石が積まれている
昔の姿のままなのか解体時にまとめられたものなのか

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