ギュインとせり上がったデザインは、元を辿ればコルビジェによるインドチャンディーガルの議事堂(1955-1962年)の庇に行きつきそうです。しかし、そのワイルドな庇を上品に読み替えた坂倉準三さんの1964(S39)年枚岡市庁舎の庇からの影響も感じます。坂倉さんのように庇へ繊細なデザインを施すことが出来なかったのは、積雪による痛みが懸念されたからなのでしょうが、庇を支える足をザラザラの仕上げとすることだけは実現出来たようでした。全体の印象も立体感にあふれ、一般的な庁舎建築に比べて高い存在感があります。設計者は細部をもっと作り込みたかったでしょうが、これ以上のことをすれば予算的な問題が発生したり、デザインの面においても上司からの承認が得られないだけでなく、全てがご破算になるかもしれないといった計算があったのかもしれません。