この口元に桶を構えて火事場に向かったのでしょうか?
そんな事では、あまりに悠長ではないでしょうか!?
家に帰って調べてみると、これは消火栓ではなく上水道の共用栓ということでした。井戸汲から水道に代わり、まだ各戸に供給がされていない時代、数戸の家で共同使用した水の汲み出し口だったのだそうです。札幌に上水道が創設されたのが昭和12年。この共同栓の基礎部分に右横書きで「栓用共寒耐」(耐寒共用栓)と表示されています。ですからこの共同栓は、昭和12年から左横書きが定められる昭和26年までの間に作られたものと思われます。
既に本州の主要都市には、明治時代にイギリスから輸入された共用栓が広がっていたそうです。上水道普及の遅れた札幌は、そのデザインを元にレプリカを準備したらしいのです。そこで、菊水北町にあった鶴巻鋳造からその向かいで木型職人をしていた私の祖父に依頼があったと思われます。
山下家の自慢話として、子孫代々伝えていこう。 2012.5.6