2020年の解体工事
ところで私も、この大通東5丁目付近のことが気になっていました。下見板張りやモルタル塗りの住宅が、時間が止まったようにたくさん残っていたからです。それらは、肩を寄せるように詰めて建っていたり、道路に沿わずに建っていたり、木造民家の建てこみ具合が懐かしい風景でした。
2003年のマンション建設ラッシュ時、こんな会話を小耳に挟みました。
「この付近は地権者が多過ぎて複雑なんだよ。札幌にいなくて連絡の取りにくい人も多いし敷地も細かいからね。」
不動産屋とデベロッパー担当者と思しき2人の会話から、お宝の土地を目の前にしてお手上げ状態といった雰囲気が伝わってきました。
1928(S3)年発行の「札幌市全図」に大通東4~6丁目を確認すると、付近一帯が「大きな空き地」や逆に「細分された敷地」になっていたことがわかりました。しかし、何故ここだけ特別にそのような扱いだったのでしょうか?更に遡ると、豊平川の分流は1889(M22)年位までここを流れ続け、川が無くなった後もこの地区だけポッカリと1924(T13)年位まで開拓が進まなかったようなのです。かくして、地図上へピンクに塗ったとおり、道路の開鑿が区画内部へ行けずに中途半端に終わっているように思われるのです。