1948年の東橋付近国土地理院の空中写真に加工
この写真は1948(S23)年の東橋付近ですが、ちょうど東橋の仮橋が架かっているのが見えます。
このことについても以前ちょっと考えたことがあります。さて私は、この橋付近の河川敷にポツポツと写ったものに気がついてしまったのです。これがあの「サムライ部落」というものではないでしょうか。
「サムライ部落」についての詳しいことは他ウェブを参照いただくこととして、実際のところその部落がどこにあったのかということについては「豊平川の東橋付近の河川敷」という文言があるくらいで、はっきり示してくれた本やウェブを見たことはありませんでした。この空中写真によりますとポツポツと写ったものは、東橋の仮橋から東橋の間の赤丸印部分と東橋から北東へ続く道路沿いの青丸印の2ヶ所を確認することができます。これらは「東橋付近」という記録と合致しますし、また付近の住宅に比べてかなり小さなものですので、これがいわゆるサムライ部落の掘立小屋群と思われます。
終戦後、サムライ部落の存在に気がついた進駐軍は彼らに移転命令を出したそうです。行政は移転すべき土地を準備してサムライ部落を河川敷から堤防上の陸地に上げさせました。この写真は、まさに未だ河川敷に残った赤丸印と陸地に上がった青丸印が併存する貴重な証拠写真なのではないでしょうか。この後サムライ部落は青丸印のところに完全移動したものの、札幌冬季オリンピックを前にした道路拡幅工事による立ち退きが行われ、札幌市が準備した改良住宅などに収容されたそうです。
私が目撃したあの自転車老人は、元サムライ部落の人だったのではないかと思われてならないのです。