懐かしい風景

nostalgic/2023

昭和の風景 サムライ部落の記憶

2023.08.27

1948年の一条大橋から東橋付近の空撮写真国土地理院の空中写真に加工

 1999(H11)年のこと、勤めていた会社が新社屋を建設しました。その場所は中央区南1条東6丁目で、付近にはまだ下見板貼りの住宅が多く残っているエリア(赤い四角で囲った場所)があり、不思議に思っていました。昔の空中写真を見ますと、そのエリアだけ整然とした区画になっていなく、そのことはこのページの中で少し考えてみたことがあります。

 ところで、私はいつも7時30分頃に出社していたのですが、早朝の南1条通りはまだそれほど車が通っていませんでした。そして、その時間にいつも1台の自転車が悠々と道路の真ん中を走ってくることにも気がついていました。一条大橋方面から登場するその自転車は、とても古い型のものでリアカーを繋いでいました。クラクションをものともしない運転手は白くて長い無精髭のある痩せた老人で、伸びて煮しめたようなランニングシャツにヨレた作業ズボンという格好でした。隣のコンビニの屑入れから空き缶を選んでリアカーに収集すると今度は中心部の方に向かっていくのでした。

 あの老人はどの辺りからやってきていたのだろう。白石遊郭付近にいくつかあった屑鉄屋への売人だったのかな等と記憶の糸を手繰り寄せ古い空中写真をじっくり見ていますと、写真右上の方にあるものを見つけました。その部分を拡大してよく見てみましょう。

国土地理院の空中写真に加工

1948年の東橋付近国土地理院の空中写真に加工

 この写真は1948(S23)年の東橋付近ですが、ちょうど東橋の仮橋が架かっているのが見えます。このことについても以前ちょっと考えたことがあります。さて私は、この橋付近の河川敷にポツポツと写ったものに気がついてしまったのです。これがあの「サムライ部落」というものではないでしょうか。

 「サムライ部落」についての詳しいことは他ウェブを参照いただくこととして、実際のところその部落がどこにあったのかということについては「豊平川の東橋付近の河川敷」という文言があるくらいで、はっきり示してくれた本やウェブを見たことはありませんでした。この空中写真によりますとポツポツと写ったものは、東橋の仮橋から東橋の間の赤丸印部分と東橋から北東へ続く道路沿いの青丸印の2ヶ所を確認することができます。これらは「東橋付近」という記録と合致しますし、また付近の住宅に比べてかなり小さなものですので、これがいわゆるサムライ部落の掘立小屋群と思われます。

 終戦後、サムライ部落の存在に気がついた進駐軍は彼らに移転命令を出したそうです。行政は移転すべき土地を準備してサムライ部落を河川敷から堤防上の陸地に上げさせました。この写真は、まさに未だ河川敷に残った赤丸印と陸地に上がった青丸印が併存する貴重な証拠写真なのではないでしょうか。この後サムライ部落は青丸印のところに完全移動したものの、札幌冬季オリンピックを前にした道路拡幅工事による立ち退きが行われ、札幌市が準備した改良住宅などに収容されたそうです。

 私が目撃したあの自転車老人は、元サムライ部落の人だったのではないかと思われてならないのです。
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