素敵な建築

nostalgic/suteki/2024

美香保体育館

2024.05.04

札幌市東区北22条東5丁目

1970年

久米建築事務所 相賀敏孝
 現在、美香保体育館として市民に親しまれている建物は、元々1972年の札幌冬季オリンピックのための屋内スケート競技場として建設されたものです。一見なんてことはない外観なのですが、見れば見るほど美しい魅力を投げかけてきます。

 数年前のこと、北海道百年記念塔の設計をされた井口健さんが久米建築事務所時代に一緒に働いていた方々のエピソードをお話しして下さいました。東邦生命ビルや札幌銀行本店ビル、そしてこの美香保屋内スケート競技場が、当時札幌支店1番のセンスといわれた相賀敏孝さんによるもので、さすがの井口さんもこれには参ったと頭に手をあてる仕草をして笑わせてくれたのでした。私は、かつて越野武先生が北海道新聞のコラムでこのスケート場のことを高く評価されていたことを思い出し、そのコラム記事を持って改めて訪れてみました。

札幌オリンピック施設 1971年発行より

 越野先生はコラムでこのように言われていました。
「建築のかたちを決める最後のタッチが、作品の質を一挙に高めているのである。」と。
 スケート競技場が勾配の緩い片流れ屋根であるという外観も特異ですし、それと対比されたシンボルタワーや玄関への階段アプローチ(現在は縮小されて1方向のみとなっている)も記憶に刻まれるデザインですが、建物の美しいシルエットがひときわ心に残ります。それを印象付けるために大きな壁面上端には庇を無しとして純粋に面を際立たせている点に、設計者相賀さんの狙いが現れているようです。そして屋根最上部についた庇をキュッと折り曲げたかたちが、越野先生の言う「最後のタッチ」なのです。
 最後のタッチが「作為なげ」だということも、越野先生は注意深く付け加えられました。

 このコラムは1974年に載ったものですから、美香保スケート競技場が完成してから4年後の執筆となります。スケート競技場と同時期の建築やその後に生まれた建築がやたらと「作為ありげ」だったと思われた可能性は高そうですし、実際にデザイン過多の建築が巾を利かせていた時代だったことも確かです。

 このスケート競技場のデザインには、シンプルなだけではない何かがあります。その秘密がこの庇にあることは間違いありません。この庇が、繊細感を演出しつつも建物全体のシルエットを際立たせる役目をし、更に雪国の建築であることまで表現しているのは巧みでしょう。しかもこれが「作為なげ」なのですから、なおさらなのです。

 世のデザインが饒舌になり過ぎている。良い塩梅のところで止めて最大の効果を発揮させることがデザインの難しさであると教えられているような気がします。
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