素敵な建築

suteki/2014

札幌で戦後モダニズムを体現した1ッ発目 
北海道大学クラーク会館 1959(S34)年

2014.01.02

札幌市

現存

1959年

太田實
 太田實先生が、丹下健三さんの1番どころか0番弟子だったということを知りました。丹下さんがまだ東大大学院生だった1942(S17)年頃、大東亜建設記念造営計画や在盤谷日本文化会館の設計競技で1等を獲得されています。丹下さんが、前川國男さん、坂倉準三さんの次を担う新星の登場と注目され始めようとしていた時、当時まだ学生だった太田先生がそのコンペ案のお手伝いをされていたというのです。

 丹下さんの血を受け継がれた太田先生は、1948(S23)年に北大へ赴任されました。太田実研究室として設計を担当された登別温泉科学館(1957年)とそれに続く北海道大学クラーク会館(1959年)、そして北見工業短期大学(1961年)に見られるコンクリート打ち放しの柱と梁の架構は、大変ダイナミックで強く印象に残ります。この存在感は、丹下さんそしてその師の前川國男さん、更にコルビジェからの系譜に基づくものなのだと納得することができました。更に実施設計は丹下研究室出身の吉川さんによるものということで、1流のモダニズム建築が北海道にも生まれる体制が整ったということがいえるでしょう。

竣工時 1959年「太田実 建築作品集 (新建築社1989年)」より

現在の姿 2014年 竣工時と変わらぬ奇跡の姿

 私がインテリアメーカーに勤めていた時、こんな出来事がありました。池内百貨店外商部のXさんが、カーテンの交換現場だという太田様邸に私を連れて行ってくれたのです。後になってわかったのですが、寝室で静養されていたのが太田先生だったのです。ベッドの横のカーテンを寸法採りするときに、気遣っていただいた記憶が残っています。ですから、この建物には特別の思い入れが沸いてくるようです。

南面は樹々が生い茂って、竣工時の様には撮影できず

庭に入り込んで

 先日、太田先生と共に設計図を引かれたという上田陽三先生に御挨拶できました。近々、当時のお話を伺いに行ってみよう。ともかく急がねばなりません。

竣工時 「太田実 建築作品集 (新建築社1989年)」より

現在

竣工時 壁面タイルは今もそのまま 「太田実 建築作品集 (新建築社1989年)」より

現在  もっと素敵なベンチとその配置はないものか・・・

 クラーク会館が北大の施設ではなく民間の施設であったなら、経済のルールに翻弄されて既に無くなっているでしょう。北大構内という場所がこの建物を救っているのでしょうか。それとも、北大スピリッツがこの建物を守っているのでしょうか。ともかく、クラーク会館が札幌モダニズム建築の最高傑作として、北大関係者だけでなく広く札幌市民、北海道民に認知され「残すべき建築」になることを願います。2014.1.20
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