素敵な建築

suteki/2018

北海道百年記念塔 その美しさと幾つかの謎

2018.01.30

札幌市厚別区厚別町小野幌

2023年解体

1970年

井口健

Google ストリートビューより

 北海道百年記念塔は、下記の趣旨の基で公開設計競技とされ、全国から設計案が募られました。

過去、100年間の開発につくした有名無名のすべての先人に対する感謝の心と北海道の輝く未来を創造する決意、そして躍進北海道の姿を力強く象徴するものとして、その高さにおいても量感においても雄大な記念塔を建設する。 (1967年1月発表)

塔は高さ100mとし、内部をのぼって展望できるようにする。ただし、展望機能は従属的なものとし、展望者の姿が塔の周辺から目だたないようにする。工事費は、おおむね4億5000万円とする。 (1967年6月発表)

 審査は道内外建築家や学識者の10人により行い、最優秀作品を採用するとの方針で、1967年6月から同年10月末まで募集されました。

審査委員長佐藤武夫佐藤武夫設計事務所所長
審査員阿部謙夫北海道放送社長
大野和男北海道大学教授
島本融北海道銀行会長
関文子北海道教育委員(東大 池辺研究室出身)
高山英華東京大学教授
谷口吉郎東京工業大学名誉教授
田上義也田上建築制作事務所所長
前田義徳日本放送協会会長
横山尊雄北海道大学教授


 実際に寄せられた作品は299点で、第6次までの選考を行って16点まで絞り、同年12月9日に最終選考を行った結果、下記の結果となりました。

最優秀作品井口健久米建築事務所札幌支店
優秀作品木村康宏大成建設札幌支店
黒川紀章黒川紀章建築都市設計事務所
沢田隆夫芦原義信建築設計研究所
準優秀作品榎本茂治鉄道会館1級建築士事務所
久保雄三竹中工務店東京支店
長島正充都市建築設計事務所
林久満創和建築設計事務所東京事務所
依田定和松井源吾構造研究室
渡辺洋治渡辺建築事務所


審査の条件とキーマン佐藤武夫先生、高山英華先生

 この北海道百年記念塔設計競技の審査において、田上義也先生の影響度がどのくらい発揮されたのでしょうか?田上教信者の私には、この点が気になって仕方ありません。ただし今回の審査のキモは、審査委員長の佐藤武夫先生(68歳)と高山英華先生(57歳)をどう頷かせるかにあるのです。
 野幌森林公園内の施設配置計画はその道の第1人者である高山英華先生、そして佐藤武夫先生の手による北海道開拓記念館の軸線真北に百年記念塔を置くという条件です。更にいえば、北海道開拓記念館は既に設計が完了しており、レンガ仕上げの外観とどのように調和させるかという縛りがあるのです。道外の大先生方に根っこを押さえられた中で、田上先生(68歳)はどのように主張を展開されたのでしょうか?


最終審査ポイント  
①建設趣旨の精神性のとらえ方
②構造の独創性と格調の高さ
③敷地・予算・構造・施工・その他の諸条件に対する適合性


 公園全体計画と北海道開拓記念館は道外の大先生によるものですから、北海道百年記念塔はぜひとも北海道民の設計者で選びたいものです。その願いにかなった者が登場してくれるかどうか、審査員全員の切なる希望だったでしょう。少なくとも、田上先生だけはそう思っておられたに違いありません。

最優秀作品 井口健による設計意図

 ご心配には及びませんと審査員たちを大いに納得させ、華々しく最優秀賞を獲得した井口健は、設計の意図を次のように述べました。

「本道の開発はきびしい自然とのたたかいであり、その勝利はたくましいフロンティア精神によってかちとられた。そのフロンティア精神の新しい展開として道民の巨大なエネルギーが結集することにより、郷土の輝かしい未来が開ける。そのようなたくましい精神を象徴することこそ、塔建設の趣旨にそうものと考えた。その表現として、平面的には雪の結晶の六角形を基調としてたくましさを表わし、垂直方向には高次の曲線を用いて天空へ永遠に伸びようとする力と未来性を表わそうと試みた。塔の外形を形成する材料は、高い強度と重厚な色調をもつ耐候性高張力鋼によることとし、その壁面の凹凸は、風雪とたたかった歴史の流れをきざむものと考えた。塔基部の池は、静的、瞑想的な空間形成に役だつであろう。」
(「北海道百年記念事業の記録」 1969年3月発刊 より)

「平面的には雪の結晶の六角形を基調として」

 審査を通過した他の案にこのような雪国のロマンティシズムを加えているものは見当たりません。北海道に建つ塔としてふさわしい基本姿勢に田上先生他全員の審査員は唸ったに違いありません。

北海道百年記念塔を真上から見たところ


「垂直方向には高次の曲線を用いて天空へ永遠に伸びようとする力と未来性」

 素直な造形であり積極的な高評価ではなかったかも知れませんが、予算の制約の中で表現できる構造であるため、実現可能案として説得力が強かったと思われます。塔の先端がナナメカットされている点が未来志向を強調しており、この辺り、田上先生とデザインの共鳴がおこったと思われます。

画像(「札幌時空逍遥」 2018年1月20日ブログ)より再加工


「高い強度と重厚な色調をもつ耐候性高張力鋼による」

 裾に広がる形態と高さ100mという外観の建物に定期的なメンテナンスを行うことは非常に困難でしょう。作業足場を組むのが難しいため、塗装や左官という塗り仕上げ、タイル等の張り物は厳しいですし、コンクリート打ちっ放しという手もありましょうが、耐震に対しての柔軟性に問題が発生するのではないでしょうか。
 さて、これはどうしようという時に、井口青年は耐候性高張力鋼(コルテン鋼)のことを思いついたようなのです。これは、1959年に旧富士製鉄がアメリカのUSスチール社から技術導入して生産され始めた特殊鋼だそうです。初期に発生するサビが保護性の高いサビに変化して鋼自体に耐候性を持たせるというもので、メンテナンスの難しい谷あいの橋などに採用されていました。しかし1963年、エーロ・サーリネンという建築家が、その鋼を仕上げ材として初めて建築に使用し、業界にセンセーショナルな話題を提供したとされています。この材料はそれ自体が持つ力強さだけでなく、サビの具合が徐々に変化するという特性が建築に美しい経年変化を与えるという時間性を付け加えるため、建築の可能性を広げたのです。建築家たちはこの材料を使って建物を設計してみたいという欲求を持ったはずですし、若き井口青年も例外ではなかったのではないでしょうか。
 ですから井口青年、正しくはコルテン鋼の事を「思いついた」のではなく、最初から「使ってやろう」と考えていたに違いないのです。

 サビのザラリとした質感と経年変化の美しさは、佐藤武夫先生の設計した北海道開拓記念館のレンガ仕上げと調和しないはずはないのです。

 井口青年は、ここで審査委員長の佐藤武夫先生をガッチリ味方につけたことでしょう。

新日本製鐵株式会社HPより


「壁面の凹凸は、風雪とたたかった歴史の流れをきざむ」

 緩やかな曲線を描いて地面へ広がっていく外観にくっついている凹凸の装飾物。優美な外観に鋭さを付け加えて、全体の引き締め役となっています。これは「風雪とたたかった歴史」を表現しているそうです。しかしよく見てみると凹凸の大きさが上部に至るにつれて大きくなっていくではありませんか。これは言うまでもなく、逆パースのデザインを使って視線を上へ上へ引っぱっていくテクニックです。
 この凹凸は、②の「天空へ永遠に伸びようとする力と未来性」をさらに補完しているのです。ただ立っているだけではない、絶えず天へ伸びていくような動きを感じさせる技に審査員たちは満足したに違いないのです。

ウィキペディアより


「池は、静的、瞑想的な空間」

 上へ上へ伸びていこうとする塔のふもとを水で浸すとは、一体どういうことでしょうか?井口青年の設計意図の通り、水の力で「静的、瞑想的」な場を作り、動的な塔と対比させることでしょう。この塔への入り口には池を廻り込んでアプローチしなければなりませんので、来訪者は嫌でもいったん「静」を感じてから、塔へ入らなければならないのです。

 公園の基本計画を立てた高山英華先生、開拓記念館や百年記念塔を建てる地区に水景のないことを懸念されていたそうです。塔のふもとに池を設えることで静と動を演出しながら水景を得ることを一緒に解決できたことに、立ち上がって拍手されたのではないでしょうか。そして、笑顔でついでにと、駐車場から塔へのプロムナードにも勾配を利用した川を流そうと提案されたのではないでしょうか。

池の形状は来訪者に塔を様々な角度から眺めさせる

 井口青年の設計意図は最優秀作品としての内容に申し分なく、審査委員長の佐藤武夫先生、森林公園のマスタープランを計画した高山英華先生も納得して認めてくれたに違いありません。ただし、後になって公式発表された設計意図には、12月9日の最終審査の時に発表された元設計意図から削除されている部分があります。その削除された部分を青色で示し、その理由を検証してみたいと思います。

元の設計意図から削除された部分とは


「本道の開発はいわゆる「風雪百年」といわれるきびしい自然との闘いであり、その勝利はたくましいフロンティア精神によってかちとられた。また、未来の郷土がいかに輝かしいものとなるかは、このたくましいフロンティア精神の新しい展開として巨大なエネルギーが郷土の上に注がれていくかにあるのであり、このようなたくましい精神の象徴こそ、塔建設の趣旨にそうものと考えた。その表現として、平面的には雪の結晶の六角形を基調としてたくましさを表わし、垂直方向には高次の曲線を用いて天空に向かって永遠に伸びようとする力と未来性を表現しようと試みた。塔基部の左右に設ける石積みのマスは道内各地産の石材をもって構成され、伸びゆく未来を象徴する鉄塔を地底から支えている開拓の先人の霊の象徴である。塔の外形を形成する材料は、高い強度と耐候性と独特の重厚な色調をもった耐候性高張力鋼によることとし、その壁面の凹凸は、風雪とたたかった長い歴史の流れをきざむものと考えた。塔基部の池は鉄の塔と石の基壇の媒体となり、また、静的な空間形成に役立つものと考えた。周囲の堀および道路は塔との精神的な触れ合いを求める人びとの瞑想的な散策空間となるであろう。」
(「新建築」 1968年2月号 より)


「塔基部の左右に設ける石積みのマスは道内各地産の石材をもって構成され、伸びゆく未来を象徴する鉄塔を地底から支えている開拓の先人の霊の象徴である」

 井口青年の提出した外観スケッチを見ますと、塔のふもとに石垣のようなものが描かれていることに気がつきます。ちなみに「石積みのマス」とは「マッス」、すなわち「塊」のことをいいます。この塊は城の石垣のように大きな石を積んで表現されていますが、塔のふもとにリズムを与えていますし、もちろんレンガ仕上げの開拓記念館と相性がバッチリでしょう。そしてこれに与えられた意味が、地底から支える「開拓の先人の霊の象徴」ということです。百年記念塔に過去と未来の両方を含めるとは、完璧なコンセプトであります。

 なぜ、途中でこの「石積みのマス」が無くなってしまったのでしょうか?予算を食いそうなのか、長い工程になる恐れが考えられたのか、非常に非常に残念であります。この石積みのマスがあるかないかで大きく印象も変わりますし、「過去」という重要な象徴を取り去ってしまうわけですから、井口青年はきっと激しく抵抗したのではないでしょうか。なんと北海道百年記念塔の記念切手には、このマスが描かれたまま発行されてしまいましたが、ああぜひとも、実現した「石積みのマス」をこの目で見たかったものであります。

「新建築」 1968年2月号 より


「塔基部の池は鉄の塔と石の基壇の媒体となり、また、静的な空間形成に役立つものと考えた。周囲の堀および道路は塔との精神的な触れ合いを求める人びとの瞑想的な散策空間となる」

 池は当初案からあり、石積みのマスと有機的に関連付けられていました。スケッチによりますと、開拓記念館から百年記念塔へ至る真っ直ぐの道路は、石垣のように付近の地形より持ち上げられているように見えます。木々を見下ろしながら塔へ至る道路を歩く気分、そして塔へ近づくにつれて石積みマスの背景からだんだん塔が迫りくる様子を想像するに、瞑想的というよりは視界がドラマティックに展開しそうな感じもしますし、神聖な感じにも包まれそうです。
 記念塔から離れて勾配なりに下りていくと縁を堀で切られた平らな広場があります。塔を更に見上げる姿勢で眺められる場所であり、ここをメインのビューポイントにしたように感じます。
 石積みのマスは急勾配で上手に危険回避したデザインになっていますが、塔への真っ直ぐの高台道路や塔下の広場には、堀下へ転落してしまう可能性をぬぐえません。それを言ってしまえば、百年記念塔自体にも裾から登られて事故が発生する心配があります。というわけで、高台道路や塔下広場は取り止め、百年記念塔は周囲を池で囲むことでいたずら登りを思い止まらせるという意図があったのかもしれません。


 これまで見てきました通り、北海道百年記念塔は最優秀受賞の時には石積みマスと高台道路、塔下広場と共にある姿が認められていたことがわかりました。しかし、あとに発表された公式の設計意図と比べてみますと、予算と工期と安全という条件の中で、泣く泣く設計変更の折り合いをつけたのではないかという疑いが浮かび上がってきました。

 仮にそうであっても、現在立っている北海道百年記念塔に後ろ向きの雰囲気は全く無く、素敵に堂々と存在しているのを感じることができるのは、誰にも異論は無いところでしょう。

審査員 田上先生の審査影響度

 それではいよいよ、本題である田上義也先生の審査影響度とは一体どのくらいだったのかという謎にふみこんでみたいと思います。

「北海道百年記念事業の記録」 1969年3月発刊 より

 審査中の写真を見てみますと、田上先生は歴代日本建築学会会長の佐藤武夫先生、高山英華先生の前でも臆することなく真ん中でタバコをふかしているではありませんか。おっかない顔をしているのは谷口吉郎先生だけで、かなりリラックスした雰囲気が感じられます。ひょっとすると、田上先生が審査のリードをしていたのではないかと思わせてくれる写真です。

 ところで北海道百年記念塔の特徴に、塔断面が「北」の文字を形象している、と聞くことがあります。誰が言い出したことなのか、井口青年の設計意図にそんな文言は見当たりませんし、どうも後付けのコジツケ感が漂っています。私は、田上先生が審査中にニコニコしながら言ったのではないかと睨んでいるのです。



 塔断面が「北」の文字とはこのような事をいうのでしょう。
「おお本当だ!田上さんは面白いところを見つけたねえ。」
「雪の結晶の中に北という文字が隠れているとは、なかなかやるじゃないですか。」
 審査員の先生方は、田上先生の発見に大笑いをしたのではないでしょうか。この偶然の所産が、北海道民の設計による北海道民のための記念建築物に、物語と揺るぎない箔を付け加えたのではないでしょうか。

「実は、北の文字は立面にも隠れているんですよ。」
「北という漢字は、2本の縦棒の高さが違うでしょう?この塔も、あえて先端の高さをずらしてある点に未来への志向が強く表現されていますよね。北という漢字はそれ自体が未来志向、私どもと同じですよ。ハッハッハ。」

 審査員の先生方一同、一瞬きつねにつままれたような気になったものの、大いに納得し、これを最優秀作品として認めたのではないかと想像できます。この塔デザインは、この北海道の場所に立つべきことが、田上先生によって証明されたと考えられるのです。このような話、田上先生なら本当に言い出しそうなことではないでしょうか。

残された謎


 あらためて井口青年が描いた北海道百年記念塔のスケッチをじっくり眺めました。
 この角度が公開設計競技の条件となる北海道百年記念塔の正面、つまり北海道開拓記念館のホールから眺めることのできる塔の姿です。60度傾けた方向から眺めさせる一番恰好の良い角度です。しかし、何か違和感がぬぐい切れません。北海道百年記念塔って、こんな見え方をしていましたっけ?

 実際の塔の写真と見比べてみると、塔先端のナナメカットの具合に原因があることが分かりました。

井口青年による塔スケッチの先端部分拡大

実際の塔の先端部分

 井口青年の設計案と実際の塔では、塔先端のナナメカットの具合が反転しているのです。これは一体どういうことなのでしょうか?

 一般的な塔の見え方は、公園入口からプロムナードを通して眺められる姿です。井口青年案のままでは、公園入口側、つまり来訪者側に側面を見せてしまうので、90度角度を変更。ナナメカットの具合については、そのままだと高い方の先端手前が立ち上がってしまい眺める人びとを威圧しそうなので、奥側を高くしたのだろうと思います。

 何だかややこしい話なので、じゃあ360度ぐるりと確認しようと実際にふもとへ行って眺めてみますと、塔は私に恐ろしいことを告げたのです。

先端の低い方

先端の高い方

「私の先端がナナメになっているって?それは何かの間違いだろう。」
 塔は私を拒絶して、そう言い放ったのです。

 ふもとから塔先端を見上げてみれば、ナナメカットされているはずの先端が水平になっているのです。雪深かったので真横から眺めたものではありませんが、見る角度を差し引いたとしても、どう見ても水平になっているのです。しかし、ちょっと離れて振り返ってみれば、塔の先端はまたナナメカットに戻っている。

 何度も目をこすって見てみても間違いない。
 塔にどんなトリックがあるというのか?
 どなたか私をお救い下さい。

後日談
井口健先生曰く「君、それは目の錯覚だよ。」
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