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北海道百年記念塔は、下記の趣旨の基で公開設計競技とされ、全国から設計案が募られました。
過去、100年間の開発につくした有名無名のすべての先人に対する感謝の心と北海道の輝く未来を創造する決意、そして躍進北海道の姿を力強く象徴するものとして、その高さにおいても量感においても雄大な記念塔を建設する。 (1967年1月発表)
塔は高さ100mとし、内部をのぼって展望できるようにする。ただし、展望機能は従属的なものとし、展望者の姿が塔の周辺から目だたないようにする。工事費は、おおむね4億5000万円とする。 (1967年6月発表)
審査は道内外建築家や学識者の10人により行い、最優秀作品を採用するとの方針で、1967年6月から同年10月末まで募集されました。
審査委員長 | 佐藤武夫 | 佐藤武夫設計事務所所長 |
審査員 | 阿部謙夫 | 北海道放送社長 |
| 大野和男 | 北海道大学教授 |
| 島本融 | 北海道銀行会長 |
| 関文子 | 北海道教育委員(東大 池辺研究室出身) |
| 高山英華 | 東京大学教授 |
| 谷口吉郎 | 東京工業大学名誉教授 |
| 田上義也 | 田上建築制作事務所所長 |
| 前田義徳 | 日本放送協会会長 |
| 横山尊雄 | 北海道大学教授 |
実際に寄せられた作品は299点で、第6次までの選考を行って16点まで絞り、同年12月9日に最終選考を行った結果、下記の結果となりました。
最優秀作品 | 井口健 | 久米建築事務所札幌支店 |
優秀作品 | 木村康宏 | 大成建設札幌支店 |
| 黒川紀章 | 黒川紀章建築都市設計事務所 |
| 沢田隆夫 | 芦原義信建築設計研究所 |
準優秀作品 | 榎本茂治 | 鉄道会館1級建築士事務所 |
| 久保雄三 | 竹中工務店東京支店 |
| 長島正充 | 都市建築設計事務所 |
| 林久満 | 創和建築設計事務所東京事務所 |
| 依田定和 | 松井源吾構造研究室 |
| 渡辺洋治 | 渡辺建築事務所 |
審査の条件とキーマン佐藤武夫先生、高山英華先生
この北海道百年記念塔設計競技の審査において、田上義也先生の影響度がどのくらい発揮されたのでしょうか?田上教信者の私には、この点が気になって仕方ありません。ただし今回の審査のキモは、審査委員長の佐藤武夫先生(68歳)と高山英華先生(57歳)をどう頷かせるかにあるのです。
野幌森林公園内の施設配置計画はその道の第1人者である高山英華先生、そして佐藤武夫先生の手による北海道開拓記念館の軸線真北に百年記念塔を置くという条件です。更にいえば、北海道開拓記念館は既に設計が完了しており、レンガ仕上げの外観とどのように調和させるかという縛りがあるのです。道外の大先生方に根っこを押さえられた中で、田上先生(68歳)はどのように主張を展開されたのでしょうか?
最終審査ポイント
①建設趣旨の精神性のとらえ方
②構造の独創性と格調の高さ
③敷地・予算・構造・施工・その他の諸条件に対する適合性
公園全体計画と北海道開拓記念館は道外の大先生によるものですから、北海道百年記念塔はぜひとも北海道民の設計者で選びたいものです。その願いにかなった者が登場してくれるかどうか、審査員全員の切なる希望だったでしょう。少なくとも、田上先生だけはそう思っておられたに違いありません。
最優秀作品 井口健による設計意図
ご心配には及びませんと審査員たちを大いに納得させ、華々しく最優秀賞を獲得した井口健は、設計の意図を次のように述べました。
「本道の開発はきびしい自然とのたたかいであり、その勝利はたくましいフロンティア精神によってかちとられた。そのフロンティア精神の新しい展開として道民の巨大なエネルギーが結集することにより、郷土の輝かしい未来が開ける。そのようなたくましい精神を象徴することこそ、塔建設の趣旨にそうものと考えた。その表現として、平面的には雪の結晶の六角形を基調としてたくましさを表わし、垂直方向には高次の曲線を用いて天空へ永遠に伸びようとする力と未来性を表わそうと試みた。塔の外形を形成する材料は、高い強度と重厚な色調をもつ耐候性高張力鋼によることとし、その壁面の凹凸は、風雪とたたかった歴史の流れをきざむものと考えた。塔基部の池は、静的、瞑想的な空間形成に役だつであろう。」
(「北海道百年記念事業の記録」 1969年3月発刊 より)
①「平面的には雪の結晶の六角形を基調として」
審査を通過した他の案にこのような雪国のロマンティシズムを加えているものは見当たりません。北海道に建つ塔としてふさわしい基本姿勢に田上先生他全員の審査員は唸ったに違いありません。