2020年 祝50周年の姿
勾配屋根のあるビル。それがどうした?という人もいるかもしれません。雪国では落雪問題があるために、今ではもうほとんど見ることができないのです。広い会社の敷地のあったことがこれを可能としたのでしょうが、ただそのことだけが素敵というのではありません。
1974(S49)年の北海道新聞に「探訪・北海道昭和建築」という連載がされていて、その中でこの雪印乳業北海道支社ビルが紹介されました。執筆者は越野武先生で、昭和初期から当時までの間に建てられたもののうち時代を語る建築を取り上げ、専門家の視点をわかりやすく説明してくれました。では、この建築の何が時代を語っていたというのでしょうか?越野先生の説明によりますと、この建築の設計者は「ローカリティの表現を目指した」とのことでした。それまでの主流デザインであったモダニズムというものは、風土性や歴史性を排除したクールな表現で、乱暴に言えば世界中のどこにでもポンと置ける建築というものであったと思います。合理的で嘘がなく点と線と数字で構成された格好の良いプロポーションが優先された建築だったと言うと、素人のお前に何がわかるのかとお叱りを受けそうですが、私はそう思っています。
ローカリティの表現とはモダニズムにおいては排除すべき条件ですから、戦後永らく引出しの奥にしまわれていました。設計者は考えるところがあって引出しを開け、勾配屋根に向き合ったのだと思います。この設計者の心の変化は、どのような理由だったのでしょうか?素直な視点で見てみますと、勾配屋根をこの社屋へ使用することが雪印乳業らしさを出せると考えられただろうとは思います。しかしそれとは別に、自分との戦いの中から形作られたような重みも感じるのです。