田上 義也 作品アーカイブス

tanoue/1955

帯広厚生病院

tanoue/1955年

帯広市西6条南8丁目

1980年7月解体 現存せず

朝日工業
 田上先生は、戦後の1951(S26)年に建築設計の再出発をされました。戦中や戦後すぐの仕事が無かった時であっても、やはり師匠フランクロイドライト先生の動向を気にされていたのではないでしょうか?そうだとすれば、1943(S18)年から計画がスタートしたグッゲンハイム美術館のスケッチ案も見られていたのではないかと思います。

帯広厚生病院 円形の外観田上義也建築作品抄 1966年より

 円形の外観を持つこの帯広厚生病院は、1階よりも2階が張りだしています。当時の北海道の建物は、雨や雪害から外壁を守るため、このように上階を大きくして水切れを良くするのは基本的な手法だったと思います。ですから、この病院と上階が大きくなる逆らせん形のグッゲンハイム美術館が似ているのではないかという疑いは偶然の出来事であり、私のほんの思い過ごしな筈でありました。

グッゲンハイム美術館フランクロイドライト モノグラム 1942-1950より

帯広厚生病院 中庭へのキャンティー斜路田上義也建築作品抄 1966年より

 しかし、建物内側の中庭へ下りていく斜路はどうでしょうか。その斜路はキャンティレバーで空中に浮いているではないですか。そしてもちろん、グッゲンハイム美術館のらせん斜路も空中に浮いたキャンティレバーなのです。ひょっとすると、この斜路壁面に入院患者を癒す為の絵が飾られているのではないか。2つの建物に共通性を見てしまう私は、他の類似点を探し回ってしまうのでした。

 1955(S30)年に完成した帯広厚生病院は、師匠のアイデアを拝借しておきながら、本家グッゲンハイム美術館の完成より4年早くこの世に生まれてしまった「問題作」だったと思えてしまうのです。

グッゲンハイム美術館のキャンティー斜路トリップアドバイザーHPより

増築後の正面北海道厚生連30年史 昭和53年5月20日より美術館の角張ったバルコニーと病院の三角庇の類似も気になる

 ところで、帯広厚生病院は交替看護体制を整えると入院患者が増加して満床状態となってしまったそうです。そこで、完成から4年後の1959(S34)年に2階建てから3階建てへ増築させたそうです。写真に映った3階は壁面よりサッシを後退させた様子が見えます。これは、田上先生のデザインではなさそうです。もし、田上先生がこの増築部を設計されていたとすれば、3階は2階よりも大きくしてグッゲンハイム度を高めたに違いないと思われるからです。増築部の設計者はそのようなデザインとはしませんでしたが、3階から屋上への斜路は考えました。田上先生のデザインを連続させる配慮はされたようなのです。

増築後の俯瞰写真北海道厚生連70年の歩み 2019年3月より 3階から屋上への斜路が見える

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