田上 義也 作品アーカイブス

tanoue/1956

阿寒湖畔小学校(まりも校舎)

tanoue/1956年

阿寒町字阿寒湖畔

1998-2000年解体

五十嵐建設
 1954(S29)年、坂本鹿名夫さん設計による初めての円形校舎 山崎学園富士見中・高等学校が東京に完成しました。その少し後のタイミングで、阿寒湖畔小学校の設計依頼が田上先生のもとに舞い込んだようです。

 田上先生の考えか発注者の北海道教育委員長 木呂子敏彦さんの希望なのかはわかりませんが、円形デザインをこの学校に採用すれば、阿寒湖特産のマリモに見立てることができると思われたのではないでしょうか。

 ただし正確に言えば、この校舎は円形の体育館南側に扇形の教室棟を接続させた複雑な形となっています。つまり、学校へのアプローチ正面の教室棟を見て円形と見える様子は、実は扇形の弧の部分ということになり、単純な円形校舎ではないのです。

 このような建物であってもやはり、田上先生らしいポイントはあります。体育館のドーム型屋根を教室棟に至らせてからは緩勾配にさせつつ壁面から僅かに飛び出させて繊細に見せたこと。さらに、2階の窓すぐ上を軒天にして目深に被った帽子のようなシャープさを狙ったこと。また、玄関庇を鋭く突き出している点も同様で、田上先生は坂本鹿名夫さんの設計とは違う見え方を意識していると考えられます。もはや正面の見え方はマリモを離れ、カッコよいプロポーションのみを追求しているといえそうです。

 恐らくマリモを主題にすることは田上先生も木呂子さんも意図していなく、後ろ半分の体育館が自然とマリモ風になったということなのだと思います。
 裏側体育館の見え方こそマリモそのもので、屋根と壁の境の処理もそんなことを意識しているようです。

 その後、全国に円形校舎が流行しましたが、児童数の激増に対応できない形のため、ほとんどの校舎の寿命は短かったようです。しかし、この建物は用途を学校から幼稚園舎へと変えながら、地域と共に長生きができたとのことです。

 1998年の訪問時にはまだ残っていましたが、2002年に再訪問してみると、解体されて跡形も無くなっていました。

参考画像 元祖 富士見高校円形校舎「近代建築 1955年3月号」より

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