田上 義也 作品アーカイブス

tanoue/1961

植田邸 A

tanoue/1961年

札幌市中央区南14条西17丁目1-31

2007年末頃 解体

伊藤組土建

れきけんアーカイブ 所蔵

「新建築」 1963年12月号より

 木材会社社長の自邸。
 かつて、行啓通を西に進んだ奥に、樹々の生い茂った一町角がありました。落ち着いた住宅街の中に現れる深緑の森にも驚きましたが、通りに面して大きな車も通れる程の門がありましたので、この奥にはお屋敷があるに違いないと思いました。しかし、門のところから奥を眺めても、鬱蒼とした樹々とゆるくカーブした道のせいでお屋敷を見ることができませんでした。試しに裏へ廻って見ますと、思った通り立派な後姿を拝むことができました。その時「いつの日か正面の姿を見てやろう。そして何とかして撮影してやろう・・・。」という恐ろしい願いが芽生えたのでした。

正面「田上義也建築作品抄=’64」 住宅サロン社1964年より

 結局のところ、この住宅の正面を撮影することはできませんでした。後になって田上先生の作品集の中に掲載されていた植田邸Aを見て、これほど大きな住宅を隠していた敷地の広さに改めて驚いたのでした。さらに、その正面の姿は久々のライト風デザインだったのです。十字の平面、大屋根を支えるかのような2本の大きい柱型、玄関上のタリアセン庇が独特な印象を残しますが、田上先生還暦過ぎの作品だからなのか自分流に味が調えられているようです。戦前期のそのまんまプレイリー風とは違う余裕、前々年にライト先生が亡くなられたことへの鎮魂、そして敬意のような大いなる落ち着き、静けさが伝わってきます。

 この作品で、田上先生はライト先生をやっと客観的に見つめられるようになったのではないでしょうか。そして、迷いを拭い去り、自信を取り戻されたのではないでしょうか。後に続く作品群で、田上先生のオリジナリティが一挙に爆発するのです。

 ところで、ライト先生のもとで帝国ホテルの設計スタッフとして働いた田上先生。田上先生の実務のほとんどは、石の割付、特に大谷石の割付であったそうです。いやというほどひたすらに向き合った大谷石。どうも田上先生は、ライト先生が亡くなられた後に再び大谷石を見つめ、自分の作品に使いだしたようなのです。この植田邸Aでも効果的に使われています。

居間「田上義也建築作品抄=’64」 住宅サロン社1964年より

裏から(2006年)

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