正面「田上義也建築作品抄=’64」 住宅サロン社1964年より
結局のところ、この住宅の正面を撮影することはできませんでした。後になって田上先生の作品集の中に掲載されていた植田邸Aを見て、これほど大きな住宅を隠していた敷地の広さに改めて驚いたのでした。さらに、その正面の姿は久々のライト風デザインだったのです。十字の平面、大屋根を支えるかのような2本の大きい柱型、玄関上のタリアセン庇が独特な印象を残しますが、田上先生還暦過ぎの作品だからなのか自分流に味が調えられているようです。戦前期のそのまんまプレイリー風とは違う余裕、前々年にライト先生が亡くなられたことへの鎮魂、そして敬意のような大いなる落ち着き、静けさが伝わってきます。
この作品で、田上先生はライト先生をやっと客観的に見つめられるようになったのではないでしょうか。そして、迷いを拭い去り、自信を取り戻されたのではないでしょうか。後に続く作品群で、田上先生のオリジナリティが一挙に爆発するのです。
ところで、ライト先生のもとで帝国ホテルの設計スタッフとして働いた田上先生。田上先生の実務のほとんどは、石の割付、特に大谷石の割付であったそうです。いやというほどひたすらに向き合った大谷石。どうも田上先生は、ライト先生が亡くなられた後に再び大谷石を見つめ、自分の作品に使いだしたようなのです。この植田邸Aでも効果的に使われています。