田上 義也 作品アーカイブス

tanoue/1962

南条山荘

tanoue/1962年

日高郡新ひだか町

現存

中島組

グレイトーンフォトグラフス 酒井広司氏

 南条山荘の建った場所をつきとめました。ひょっとしてまだ残っているのではないかと、現地へ向かいました。H牧場の敷地内に南条山荘が見えた時、やっと目の当たりにできた感激と「ここにいたのか。随分とてこずらせてくれたな・・・。」というちょっとした嬉しいイラダチが心の中で渦巻きました。

2021年の様子

 牧場端に車を停車させ、玄関までのアプローチを歩きながら、大臣ともあろう南条さんがどうして牧場に別荘を建てたのだろうと考えました。あら?屋根はもう赤くないのか・・・、でも建物はそれほど傷んでいない・・・。恐らく、雪の少ない気候が劣化を進めないのだろうと思いながら、玄関の呼び鈴をゆっくり丁寧に2回押しました。

 お住まいの方が出られたら「私は建築研究会の山下と申します。建築の研究をしているものです。」と言うのです。強い口調でもソフト過ぎてもいけません。自然な笑顔で相手を見て、両手で名刺を差し出します。ここに来る間、運転しながら何度も練習した通りに実行するのです。いや、これで何度も失敗しているではないか。しかし私には、これ以外に方法が無いのです。

 結局、この建物は留守でした。しかし、隣の牧場事務所をダメ元で訪ねてみると、牧場経営をされている女性のN社長と妹さんが話を聞いて下さいました。
 「父が亡くなってからはもう住んでいないの・・・。ろいず珈琲館の田上さん?えっ、この建物も?」
 田上作品を訪ね歩いて見つけた時の喜びを説明すると、「馬のロマンと一緒ね・・・。」とうなづいて頂きました。

 という訳で、その半年後に正式に訪問取材をさせていただきました。
 詳細は、ホッケン研訪問取材のページ小野氏レポートに譲りますが、私の心に残った点は下記の通りです。

グレイトーンフォトグラフス 酒井広司氏

 2階のとんがり屋根の下は、寝室でした。三角に飛び出したコーナーは床までの大きな窓で組み立てられていました。ここのベッドに片肘ついて寝そべりながら、外を眺めた時の様子を想像してみてください。120度以上の広角風景を眼下にしながら、物思いにふけることができるのです。しかも、緑の牧場を通してはるか彼方に太平洋の大海原を望みながらにして、です。

 豪傑者だったという南条大臣、雄大な風景に包まれながら、しかし東京方面をしっかりと睨み、いろいろ考え巡らせ、作戦を練ったことでしょう。うーむ、レースカーテンを開けて撮影しておけば良かった。

グレイトーンフォトグラフス 酒井広司氏

 玄関から2階寝室へ至る階段ホールは、吹抜けになっていました。空中に浮いた踊場から踊場へ、梯子のように階段が架けられています。その様子が、建築途中のようなワクワク感と吹抜け感を強く訴えてきます。分断された階段でありつつ、スチールの支柱で支えられた手摺で全体を繋いでいるという2面性。この辺り、ザワッとするデザインです。


 帰りしな、N社長が片足を牧場の柵に乗せて、このようにお話ししてくれました。
 「昔ね、この家をバックにしたランドクルーザーのポスターがあったのよ。こんなポーズの女の人も写っててね。」
 やっと南条山荘を見つけたのに、これからはポスター探索が始まるのでした。
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