田上 義也 作品アーカイブス

tanoue/1964

真駒内幼稚園

tanoue/1964年

札幌市南区真駒内曙町3丁目

解体

江本木材

田上義也建築作品抄 1966年より

 1949(S24)年から24年間、札幌市議を務められた石原通孝さん。幼児期の脳細胞の発達面から幼児教育の重要性を説いた石原さんは学校法人を立ち上げ、幼稚園舎の設計を田上先生へ依頼されました。

 田上先生と石原さんの関係は1931(S6)年に設計した石原邸に始まりますが「彼(石原さん)の性格は私とは全く相対的である。私(田上先生)が直観的であるのに対して、彼は内面的でありリアリストである。」「彼(石原さん)のコンピューター的頭脳はあまりにも鋭利明快であり、相手の理解度に対して時には皮肉とうけとられ、彼の真意を計り兼ねて、しばしば立腹せざるを得ない私(田上先生)であった。」(「素顔のさっぽろ市政」石原通孝 1972年発行より)という関係ながら、40年以上もの長きにわたって続いたそうです。

「北のまれびと」 現代出版社1977年より

 田上先生は、三角形の敷地に素直にL字平面の園舎を配置しました。中庭に面して天井から腰まではガラス張りの廊下が、そしてテラス窓から外へ出れば、連続パーゴラの架かる幅広のテラスが続いています。時代を先取りした伸びやかさが感じられ、ここに我が子を通わせたいという気持ちになります。


 パーゴラに取付られた水平の装飾部品。恐らく、青や黄または白などで塗装を施した板材でアクセントを狙ったものなのでしょうが、雪が積もれば2,3年しかもたないでしょう。わかっていてもやってしまう、それが田上先生の直観性ということなのかも知れません。
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