田上 義也 作品アーカイブス

tanoue/1965

金本ビル

tanoue/1965年

札幌市中央区南5条西4丁目

現存

大成建設

田上義也建築作品抄 1966年より

 ある日、金本ビルの記事を古いタウン情報誌に見つけた私は、その住所を南5条西4丁目と突き止めました。それがわかれば、私の体が自然に動き出すのであります。なぜなら、田上先生の作品集にビルの平面図が出ているからにして、その規模で当たりをつけ、エントランスから入った左手に曲面の壁がある階段を見つければビルを特定できると思ったからなのです。

モノクロ写真 田上義也建築作品抄 1966年より
カラー写真 2021年

 しかし「金本ビル」という名のビルはススキノにはもうすでに無いことがわかっていたので、内心ではもう解体されてしまっているだろうと予測していました。1棟1棟確認してまわり、一番入りにくくて後回しにしていたビル入口の奥に曲面の壁を見つけた時、その時の私はどんな顔をしていたでしょうか?ビル防犯カメラの記録に残っていないことを祈るばかりであります。つまり、金本ビルはビル名称を変えて生き残っていたのです。

 ビルの外観は壁がふかされて、巨大かつ特徴的なバルコニーやグリルの装飾は見えなくなっていました。内部はアールの壁よりも2基のエレベーター上にあった飾り物に惹きつけられました。削り込んで装飾された帝国ホテルにある大谷石のような照明器具だなあと思ったのです。
 ところで最近、たまたま金本ビルの話題になったときに「ああ金本ビルね。若い時、お世話になったなあ。」と、感慨深げに思い出された方がいらっしゃいました。ということは、竣工時も現在と変わらず、そのようなビルであったようなのです。こっそりとさせず、派手な外観で堂々と客を吸い寄せる発想はもう既に始まっていたようでした。
 ビルオーナー金本さんの要望だったというヒューマン的なものや風土性といったものを表現したいという方向性が、田上先生によってバルコニーやグリルのデザインに具現化されたようです。このデザインはアイヌ文様をデフォルメさせたものということなのですが、果たして誤解や抗議を受けなかったか、少し心配になったのでした。
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