田上 義也 作品アーカイブス

tanoue/1967

透青ビル

tanoue/1967年

札幌市中央区南8条西3丁目

現存せず

平山建設

月刊さっぽろ 昭和46年7月号 財界さっぽろ より

 愛衆ビルの地下にあったクラブ「透青」のUママが、新しいビルを建設してそこへ「透青」を引越しさせようと計画を立てたそうです。建設地は元々、札幌出身の女優 姿美千子さんの実家の紺屋だという「橘屋染舗」のあった場所です。そしてUママは、設計を再び田上先生に依頼されたのです。

 外壁は白く塗装されたスパンドレルのようで、当時としては斬新な仕上げだったのではないでしょうか。亀甲型や斜めに配置された窓が、謎めいたムードを醸し出しています。玄関上の装飾は、屋上まで突き抜けようとする鋭いデザインですが、そこに青いステインドグラスがはまっていたのなら、それこそ店名通りの透青でしょう。

商店建築 13巻5号 1968年5月号 より

商店建築 13巻5号 1968年5月号 より

 ステインドグラス風の装飾は1階店内天井にも設置され、アザラシの皮張だという教会風ベンチや砂澤ビッキさんによる壁面レリーフと共に怪しげな内装が展開されていました。この混乱具合は田上先生のセンスというよりもオーナーUママの要望だったのかもしれません。しかし2階は、六角形のテーブルやフランクロイドライト風の造りつけソファのあるクラシックな雰囲気のようです。2階の写真が無いのが残念ですが、1階と2階とで大きく印象を変えたことも、異色な空間を狙うための計算だったのかもしれません。

商店建築 13巻5号 1968年5月号 より

商店建築 13巻5号 1968年5月号 より

 ところで、この透青ビルの建設資金は常連の客を通じて白石農協から融資を受けて用意されたそうです。更には何人かの文化人や芸能人からの援助、それでも足りないお金については、北海道遠征のたびに立ち寄っていたという読売ジャイアンツのK投手にお願いし、世田谷の自宅を担保にしてもらって捻出したそうです。男たちの財布を開かせるUママの魅力、そちらの方に興味が向かいそうになります。その後Uママは、借金を払えなくなってしまい、K投手の自宅にも差し押さえの赤紙が貼られてしまったそうです。田上先生の設計料は無事にもらえていたのでしょうか。少し心配になりました。

 話は変わりますが、私の母方の祖父はその当時、手稲農協の融資係をやっていました。祖母の口癖で「お願いですから、悪いことには手を染めないでくださいね。」とは、この「透青」の件も含んだ白石農協不正融資事件が背景にあったのだと今更分かったのです。
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