田上 義也 作品アーカイブス

tanoue/1968

支笏湖温泉 ホテル鹿の湯

tanoue/1968年

千歳市支笏湖温泉

現存せず

地崎組

「THE80TH ANNIVERSARY CHIZAKI-GUMI」より

 定山渓温泉で「鹿の湯」と「花もみじ」を経営されている鹿の湯グループ。1927年から現在までに及ぶ長い歴史のあるひととき、支笏湖にもホテルを持っていたそうです。それが、田上先生による設計だったのです。

 湖に向いた横長の宿泊棟、そしてライト先生譲りの幾何学デザインの窓を持った食堂と大浴場の棟が飛び出しています。ここの敷地は後ろの森へ少しづつ高くなっているので、恐らくエントランスホールはこの裏側2階にあるでしょう。カウンターでチェックインを済ませれば、そのままロビーを通り抜けて外部テラスに誘導されるはずです。光に満ちたテラスに出てみれば、大自然の風に吹かれながら支笏湖の絶景に浸ることができるという仕掛けに違いありません。
 このイン・アウトの切り替えによるテクニックには、本当に心がワクワクしてしまうものです。このホテルが今なお支笏湖畔に残っていたのなら、世の田上ファンは誰しも訪れたくなるでしょう。

 赤い屋根に薄桃色の外壁、木肌を効果的に使った外観は、鉄筋コンクリート造であるにも関わらず、とても優雅で温かみのある印象です。宿泊棟壁面の分割デザイン、テラス全体に及ぶパーゴラ、陰影深い数々のデザインが、フルコースの田上先生らしさにあふれています。室内もまた、手抜きなしの立体的な装飾が隅々にまで施されています。ところがこのホテル、あまり長生きできなかったようなのです。

 ライト張りのデザインは当時、一般市民にどのように受け取られていたのでしょうか。ちょうど帝国ホテルの解体と同時期なので、リバイバル的な話題を提供したかもしれません。もしそうだとしたら、熱い話題が冷めるとともに注目度も下がってしまったのでしょうか。

床と天井の呼応が素晴らしいロビー
「鹿の湯グループ50年史」 昭和52年発行

ロビー横の喫茶コーナー
「鹿の湯グループ50年史」 昭和52年発行

食堂「樽前」
「鹿の湯グループ50年史」 昭和52年発行

大浴場
「鹿の湯グループ50年史」 昭和52年発行

 このホテルは支笏湖畔のどこにあったのだろうかと昔の住宅地図を開いてみると、なんと支笏湖ユースホステルの湖畔側にあったのです。ユースホステルから眺望を奪った格好になってしまったようですが、田上先生の2つの作品が並んで存在していたという景色を想像するだけで、卒倒しそうです。

ゼンリンの住宅地図 千歳市 昭和52年発行

1975年国土地理院 空中写真より

支笏湖温泉 ホテル鹿の湯 荷物タグより

 後日に入手したホテル宿泊客用の荷物タグには正面の姿が印刷されていました。

 石積みのように見せた基礎に建物を載せ、客をエントランスまで緩く登らせていきます。入り口をくぐるとチェックインカウンターの奥に、大きな窓ガラスを通して支笏湖の風景が見えるでしょう。チェックイン手続きを放っぽって窓へ近づけば、湖の奥に野趣あふれる風不死岳や恵庭岳が迫り、息を飲ませるという仕掛けなのでしょう。横長に配置した建物のデザインには、その驚きを倍増させるべく、ホテルに入るまで風景を隠して見せないようにした田上先生の企てを感じます。

 それにしてもホテル妻面の大きな壁と、そしてそれを支えるように見せる控え壁風な装飾に目がとまります。ここにも北海道百年記念塔につながるニオイを感じずにいられません。コンペ審査で塔のデザインを見た田上先生、かなりそのデザインに参ってしまったようです。
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