竣工翌年1971年「札幌市電が走った街 今昔」(札幌LRTの会 2003年)より
ビルは2層に重なった連続アーチの外観が独特の雰囲気で、パッと見では妙なスケール感に視覚が惑わされます。竣工頃の写真からは、屋上についた強烈なダイワハウスの特大看板と共にある様子が、お互いを高めあっているように見えました。
このビルが田上先生の設計だと知ったとき、にわかには信じられませんでした。外観からは60年代風の田上先生の香りが消え、そばに立ってよく見ても、いつもの細部やお決まりの材料が見当たりませんでした。ところで田上先生は、この少し以前より体の不調を訴えられ、1970年に
河邨文一郎さんに手術をしてもらい、その後しばらく入院されたことがあったそうです。ですからその頃より、デザインの権限が田上先生からスタッフさんへ徐々に移り始めたと推測されます。そうであれば、
1969年の森邸や
1970年の谷口邸に共通する連続アーチのデザインは、スタッフさんの好みが出ているのかもしれないと思われました。