田上 義也 作品アーカイブス

tanoue/1971

札幌冬季オリンピック・恵庭岳滑降競技場各施設

tanoue/1971年

千歳市恵庭岳西斜面

現存せず

岩倉組土建㈱

運営本部 ブロック造・木造「札幌オリンピック施設」 札幌オリンピック施設編集委員会 1971年

サブプレスセンター 鉄骨造・木造「札幌オリンピック施設」 札幌オリンピック施設編集委員会 1971年

 札幌冬季オリンピック景気に沸いた建設業界。
 沢山の施設が計画されましたが、本州資本の大手組織事務所や市内の新興事務所がほとんどの案件を押さえ、幾つかの道外組も狙った獲物を一本釣しました。その中で、田上先生は唯一市外に計画された恵庭岳のアルペンコースに付帯する各施設を獲得されました。

 この恵庭岳滑降競技場は、オリンピック閉会後に再び自然へ復旧されるという条件で計画が始まったそうです。計画段階から解体を待つという建築。ほんの一瞬、かりそめに存在するという儚さ。古本でそれを知った私は、体の一部が火照ってくるのを感じるのでした。

 鉄筋コンクリート造の建築が多勢を占める中、
 木造物件を狙って田上先生が獲得されたのか、
 田上先生にも何か一つという配慮が働いたのか、
 田上先生が、道内の若手にメイン施設を譲ったのか、
 設計計画の獲得競争にどんな裏話があったのか、あれこれ想像をめぐらせてしまいます。

山頂ハウス 木造「札幌オリンピック施設」 札幌オリンピック施設編集委員会 1971年

中間ハウス 木造「札幌オリンピック施設」 札幌オリンピック施設編集委員会 1971年

 選手がスタート前に控える山頂ハウス、コース整備員の為や負傷者に備えた中間ハウスを見てみます。高床式の木造構造が、戦時中のベースキャンプ施設に見えてきます。田上先生には珍しい作風で、ついついじっくりと目を凝らしてしまいます。

 支笏湖畔に立って、対岸の恵庭岳西斜面を眺めてみると、施設の建っていた場所はあの辺だったに違いないと想像が尽きません。既に自然の姿に戻っている建設跡地に踏み込んでみれば、その跡片を発見できるのではないかと、訪れてみたくなるのです。
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