田上 義也 作品アーカイブス

tanoue/1977

札幌市教育文化会館

tanoue/1977年

札幌市中央区北1条西13丁目

地崎工業・飛島建設 共同企業体
 札幌市教育文化会館が改修工事のため2023年1月~2024年9月まで休館するということで、記録へ行ってきました。この建物の設計は、北海道建築設計監理と教育施設研究所との共同設計とのことですが、田上先生は総括の立場で関わられていたそうです。
 この建物が完成した1977(S52)年とは、同年に北海道立近代美術館も開館したことにもよって、道民市民にとって芸術文化が身近となった記念すべき年だったのではないでしょうか。そのような建物のためにどのようなデザインが企画されたのか、田上先生らしいデザインがあるとすればどのあたりに見られるのか、それらを探してみることも目的でした。

 設計の主導は北海道建築設計監理で、廣田基彦さんが社長をされていました。廣田さんは1913(T2)年に旭川で生まれ、道庁の建築部工営課を長年にわたり勤められ、1972年にこの会社を立ち上げられたばかりでこの時64歳でした。総括の田上先生は78歳、構造担当の橋本理助さんは69歳という、戦後北海道の建築を背負ってこられた錚々たるメンバーで臨まれたようでした。
 まずは凸凹の多い外観に惹きつけられます。館内各室のボリュームが素直に外部に現れた陰影深さは、今どきの北海道の建築に見ることのできないものです。その塊感は、外壁や内部の壁や床にまで施されたレンガタイルによって強調されています。ただの大きな塊とすることなく、ホールを吹抜の3面ガラス張りにしたり、金属パネルで水平方向への伸びを表現したところに、味わい深さを感じました。複雑にボリュームを噛み合わせた形態にフランクロイドライトの落水荘からの影響が見えるような気もしますが、7年前の佐藤武夫さんによる北海道開拓記念館を意識した正反対のアプローチとも思えてきます。

 3階の軒天が白く仕上げられていることで鈍重な印象はありません。ここに田上先生のいつものデザインが活かされているようです。
 竣工時のサッシはコルテン鋼製だったそうです。10年前に北海道百年記念塔のコンペが行われた時、1等案で提案され実際の記念塔の外壁に使用された材料です。当時、審査員だった田上先生と北海道百年記念施設建設事務所長だった廣田さんがその材料に魅せられ、ここで採用してみたと考えられるのではないでしょうか。現在はコルテン鋼素地ではなく、その上に塗装がされていました。

モノクロ写真新建築1977年9月号より

 壁面や床のレンガタイルは旭川の神楽ヶ丘の土を焼いたものとのことです。多色に色付けられた床の格子デザインはライト風な田上先生お好みのものですが、広いホールだからこそ大きな柄が活きているようです。内部だけに留まらずサッシを超えて外部にまで延びていく格子デザインには、建築の外壁によって内外を区別するという当たり前のことから自由になろうとする意図が感じられます。

モノクロ写真 外部に延びる床タイルの格子デザイン新建築1977年9月号より

 外部に延長されたこの格子デザインを遠心的デザインの表れとすれば田上先生の表現と考えられそうですが、過去の作品に同様のデザインは見当たりません。共同設計なので、別の方の発想なのかもしれません。ちなみに外部の格子柄は現在は無地に改修されていました。
 建替えや取壊しに憂いてばかりの昨今、1年半以上もかけて大改修するというニュースを聞いて、そんなこともあるのかと驚きました。今までしっかり眺めていなかったばかりに気がつかなかった札幌市教育文化会館の魅力を確認することができました。現在の姿がどのくらい残されるだろうかとしみじみ見つめ、そしてこれからは改修後の文化会館を利用できるよう自分の興味範囲も広げようと誓ったのでした。
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