玄関右手、ランタン風の玄関灯と表札のある壁面は石貼りで仕上げられています。採用された石種については記録がありませんが、建築工事を請け負った牧内組 牧内定馬社長奥様の記憶によると坂本邸新築工事で余った石を牧内邸新築工事で使用の際、田上先生本人から大谷石だと教えられ、特に印象に残ったとのことでした。また、実際に貼られた石を観察すると、その脆い肌触りや黄色味がかった石の色、茶色のミソの含まれ具合が大谷石独特の特徴だろうと思われます。大谷石は栃木県宇都宮市大谷町で採掘される石で、1922年の帝国ホテルの建設に際して採用され注目されました。栃木生まれの田上先生にとって馴染み深い石であるはずですが、北海道で設計活動を始めてからは長い間、大谷石を採用してきませんでした。転機は1959年の
西条八十の歌碑です。田上先生は碑石を支える御影石の周囲を大谷石とみられる石で組むデザインとしました。宇都宮の大谷石採掘場では1957年から採掘の機械化が開始され、その頃よりトラック輸送で全国各地に輸送が可能になったことから大幅な増産となっていたそうです。このような採掘の工業化や流通の変化を背景に以前に比べて大谷石の採用がしやすくなったと考えれば、この石は大谷石である可能性が高いと思われます。また、碑の計画直前に師フランクロイドライトが亡くなったことを踏まえると、田上先生は採用に積極的に取り組んだに違いないと思われるのです。
田上先生はこの歌碑以降、1960年の
小原邸や
森吉邸、1961年の
植田邸でも玄関周りの壁面に大谷石とみられる石を採用し、それ以後も継続的に使用しましたが、材料に高低を繰り返す横縞のコンポジションとすることでリズムをつける方法を採っていました。坂本直行邸では材料毎の表面に深浅をつけたりポイントに小さな穴を開けたりして新しい表現に挑戦したようです。また、1961年の
網走市郷土博物館新館の設計図には石貼箇所に「小樽桃内石壁」との表記がありました。
この石(札幌時空逍遥 2015年9月9日のブログ)は小樽市桃内地区産の黄色味がかった軽石凝灰岩・凝灰質砂岩・凝灰角礫岩とされますが、大谷石では北海道東部の網走までの運搬には難があり、軽石凝灰岩の大谷石に類似の石質と色を求めて北海道内の小樽桃内石を指定したと推測できます。田上先生がここまで大谷石や小樽桃内石に固執したのは、自身のルーツ再確認ばかりでなく、その温かみある柔らかな石肌が雪景色に映えると考えたのではないかと思われるのです。
住宅を軽々と持ち上げた鉄筋コンクリート造の地階部