失われた建築

lost/2021

北陸銀行 札幌支店

2021年
解体

2021.06.16

札幌市中央区大通西2丁目

2021年 解体

1966年

日建設計工務

清水建設

2021年6月2日

 建替のため4月に閉鎖されてからというもの、そわそわして何度も様子を見に行きました。まるで日に日に衰えていく人の枕元へ見舞うかのような、ほんの少しでも一緒にいたいというような気持ちでした。そしてついに、建物が解体の囲いに包まれ始めたのを見て、最期を覚悟したのでした。


 こんなに私を惹きつけてやまなかったこの建物の魅力は何だったのか、考えてみました。


 この建物が完成した1966(S41)年を振り返りますと、ホテル三愛、北海道銀行本店ビル、開発局庁舎、札幌グランドホテル新館、北海道共済ビルなど、その前後に大型建築がどんどん建った時代だとわかります。地方銀行の札幌支店とはいえ、一般的なビル型ではない台形のカタチ、そしてレンガタイル貼りの外観が独特の重々しさを漂わせています。いったいこの建物の設計者はどんな意図でこの建物を設計したのか、当時の文献にあたってみました。

 「札幌の街に次々と建てられる新建築群を眺め、大阪や東京などどこにでも建てられるような建築ではなく、街の活気ある中心に建つこの建物が、札幌の土にしっかりと根を下ろして生え出たように、道産子によっていささかの異和感もなく受け入れられ、またよそもののもつ情緒にもさからわず、しかも近代銀行の機能を十分に果たし得るものを創りたいという意欲から生まれた。」
(日建設計工務による設計要旨 北海道建築設計監理協会作品集 ARC67 昭和42年11月発行より)


(GIF制作 ホッケン研 橋村明氏)

 地中からドドドッっと音を立てて現れてくるような動きを見せる建物のカタチは、日本中のどこにでもあるような建物とは違うのだという主張に違いありません。生え出たという狙いは、借り物ではない、オリジナリティの表現でしょう。そしてそれは、当時の札幌のまちづくりを「リトルトーキョー」と揶揄されるほどの状況に声を上げたとも言えそうです。また、レンガの色調のタイルで仕上げた理由は、市民から素直に眺められるためだけではなく、2年前に完成した青いタイル貼りのホテル三愛(現札幌パークホテル)への回答ではないかとも思われます。札幌はやはり赤レンガの似合う街なのだという宣言と見え、内地の人が北海道の建物に抱く期待にも沿わせたと考えられるのです。
 この建物のカタチ自体は単純明快ですが、縦長窓や窓枠下の装飾、そしてレンガタイル壁が歴史様式を感じさせます。明治の歴史様式の建物がどんどん無くなっていった時代に、主流のモダニズムに安易に傾倒することなく、それを惜しみ現代に生まれ変わらせようと努力する設計者の姿勢が映し出されたかのようです。さらに、札幌の街から地域性が失われていくことへの焦りからくる、設計者の問題提起を感じずにはいられないのです。私はこのような心模様の滲み出る姿に、惹かれるのだと思います。

 ところで、この建物の屋上には山内壮夫さんによる「鶴の舞」があります。8年前に札幌市民会館が出来た時、その広場に同じく山内さんによる「希望」が据え付けられました。札幌市民会館の設計者である日建設計工務(名古屋支店チーム)が像の設置を提案したという言い伝え(※①)がありますが、このたびの北陸銀行札幌支店の設計も同じく日建設計工務なので、両者のタッグが再演されたと考えられます。
 もしも、この北陸銀行札幌支店も札幌市民会館同様に名古屋支店チームの仕事だったとしたら、彼らがつくりあげた建物によって札幌の街づくりの状況へ批判がされたことになるのです。願わくは札幌支店チームの仕事であったと思いたいものです。ちなみに新しく建つ北陸銀行札幌支店は、やはりというかまたしても、日建設計名古屋支店の仕事になるそうです。
(札幌建築鑑賞会通信№88へ寄稿した文章より)

※① 丸井今井と札幌丸井会は、本店85周年を記念して女神像を寄贈することとし、札幌市を通じて山内壮夫さんに制作依頼をしたとの記録もあり、像の設置実現にあたり日建設計と丸井今井両社の思惑が一致したのではないかと思われます。

2021年6月6日 まだいる「鶴の舞」

2021年6月25日 囲いの奥に見えていた「鶴の舞」の影が消えました

Top