田上 義也 作品アーカイブス

TANOUYE YoshiyaTANOUYE Yoshiya

60代の田上義也さん
月刊 住宅サロン 昭和39年8月号 住宅サロン社発行 より

 1899(M32)年 栃木県生まれ
 早稲田大学付属早稲田工手学校から逓信省大臣官房経理課営繕係へ入省、上司に渡辺仁さん。
 フランク・ロイド・ライトが設計する帝国ホテルのスタッフ募集広告を見て採用となり設計の基本を教わるものの、ホテル竣工当日に関東大震災に被災してしまいます。
 その後、東京を後にして北海道を目指す途中で出会ったバチェラー師や、その他さまざまな人たちとの交流の中、札幌でフリーアーキテクトの第1人者となられました。
 華々しい活動初期の後、戦中戦後の困難を乗り越えて再出発され、北海道文化賞、北海道開発功労賞など数々の受賞をされ、1991年に92歳で御逝去されました。

 一般的に田上義也さんといえば、師事したフランクロイドライトからの影響が強い戦前の住宅作品がイメージされる事が多いと思います。しかし、その設計手法の呪縛から逃れようと、自分のスタイルを模索する姿の方にもなかなかの見所があります。そのようなあまり注目されない戦後作品も知らず知らずのうちに解体がされ始めています。ここではそれらにスポットを当て、今のうちに記録をまとめていこうと思います。

全作品ではなく、私の興味を惹く物件一覧です

1951

1953

飯室進邸

島田邸

1954

O邸

1955

1956

1957

1958

木村邸A

1959

大塚氏アトリエ

1960

宮ヶ丘ユースホステル

鶴田邸

木村邸B

浜野真二邸

石川邸

山田小児科

小川レストラン

1961

1962

岩沢邸

梶谷邸

橋本婦人科医院

岡本邸

カナリヤビル

東屋

1963

中西邸

田村邸

高田邸

渡辺歯科

伏見稲荷会館

1964

室谷邸

藪邸

阿部アパート

浅野ビル

1965

1966

豊田邸

竹田邸

乙井邸

坂田邸

徳中裕満邸

金井邸

ニセコローヤルロッジ

光塩学園女子短期大学

虎杖浜ホテル

1967

松宮邸

寺崎邸

三田邸

河井邸

多田邸

大坪築七邸

定山渓ユースホステル

高木病院

光塩学園付属幼稚園

札幌造形美術学園

1968

空知土地改良区事務所

くぼたビル

浅野ビル

ライオンズ青年の家

島啓吾邸

高木耳鼻科医院

桑園予備校

1969

栗原静江邸

青樹社ビル

豊建商ビル

工藤元邸

早川秦正邸

山中邸

柿島米太郎邸

辻邸B

上光証券取引所

麻布保育園

標津ユースホステル

1970

今井健一郎邸

寿原豊邸

標津町青少年会館

工藤元邸

1971

1972

1973

九島勝太郎邸

横井喜之助邸

山田歯科診療所

カナリヤ本店

日高国際スキーロッジ

1974

1975

松原政雄邸

月寒公民館

浅野商事

東急不動産澄川建売住宅

1976

大成寺会館

こぐま座

黒川邸

1977

1978

1979

1980

彫刻美術館

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